麗子自身が後年著した「父 岸田劉生」には次のような記述があり、会場のパネルやカタログで紹介されている。

 「私はじっと足の痛さをこらえている。すると涙が目に溢(あふ)れてきて今にも頬をつたって落ちそうになる。涙が落ちたら父はきがつくだろう。子供心にも父の仕事を中断させたくなかった。(中略)父はなおも一心不乱に着物の柄を描いている」

 麗子が5歳、1919年の作品だが、幼子を前に何かにつかれたように絵筆を走らせていた劉生の姿をほうふつさせる。過ぎるほどに父のことをおもんぱかった娘の心情には劉生は気づかなかったようだが、絵筆がその苦しみをちゃんと描きとめていたのが興味深い。