ロシア・ウクライナ関連 A
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ロシア・ウクライナ関連
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プーチン大統領なぜ執着?キエフ・ルーシの歴史とは
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220514/k10013622761000.html
ウクライナ侵攻に踏み切ったプーチン大統領。ウクライナを“兄弟国家”と呼び「強い執着」があると指摘されています。そのよりどころとするのが、1000年前にあった「キエフ・ルーシ」と呼ばれる国の存在です。
いったい、どういう国なのか。元駐ウクライナ大使で『物語 ウクライナの歴史』の著者の黒川祐次さんに、キエフ・ルーシの歴史について話を聞きました。
プーチン大統領がこだわる「キエフ・ルーシ」とは?
《以下、黒川さん》
キエフ・ルーシは9世紀末から13世紀にかけて、今のウクライナやロシアなどにまたがる地域にあった国です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220514/K10013622761_2205132007_0513204217_01_03.jpg
「キエフ大公」と呼ばれる君主が支配し、最盛期はヨーロッパ最大の版図を誇った大国だったと言われています。
その中心的な都市だったのが、今のウクライナの首都キーウ(キエフ)でした。
12世紀に編さんされた『原初年代記』という歴史書の伝説によると、東スラブ人のポリャーネ氏族の3兄弟、キー、シチェク、ホリフとその妹が町をつくって、一番上の兄の名を取ってキーウ(キエフ)と名付けたそうです。これが今のウクライナの首都にもなっているキーウの始まりだとされています。
その後、実質的に国を作ったのは北欧から海を渡ってきたバイキングで、オレフ(ロシア語名オレーグ)という人物が創始者でした。882年にキエフ公となったオレフは首都をキーウに移しキエフ・ルーシを建国しました。...
なぜキリスト教を取り入れたの?
かつてキエフ・ルーシはアニミズム的な多神教が支配的だったとされています。しかし、国の規模が大きくなる中、キエフ大公の統治を正当化し結束を強めるのに、一神教は都合がよかったのでしょう。
また、キリスト教国となることで、ビザンツ帝国を中心とした「文明国の共同体」の一員に認められ、ヨーロッパ各国との婚姻政策などの外交面でも役に立っていたと考えられます。 “栄光の国”がなぜ滅んだ?
最終的な要因は、13世紀にユーラシア大陸で猛威を振るっていたモンゴルの侵攻だと言われています。ただそれ以前にキエフ・ルーシは衰退過程に入っていたようです。...
モスクワが力を持ったのはなぜ?
これとは対照的にモスクワは森林地帯で、交易による収入もあまり見込めないことから、比較的モンゴル軍の攻撃を受けにくかったことなどもあり、力を蓄えていきました。
こうしたことがキーウとモスクワの力関係が逆転するターニングポイントになったと考えられます。
キエフ・ルーシは崩壊後はどうなったの?
ウクライナ側がキエフ・ルーシ崩壊後の継承国としているのが「ハーリチ・ヴォルイニ公国」です。
この公国は、キエフ・ルーシ崩壊後も1世紀にわたって現在のウクライナの西部で栄え、今の西部の主要都市のリビウもこのときに町が建設されています。
ウクライナの歴史家の1人は、ハーリチ・ヴォルイニ公国が今のウクライナの人口の9割が住む地域を支配していたとして「最初のウクライナ国家」だとしています。
《ここまでが黒川さんの話です》
プーチン大統領の考えは
...
去年7月の論文では、ロシアとウクライナがともにキエフ・ルーシにルーツを持つとして両国は「兄弟」であり「一つの民族」と主張しています。
ウクライナ史に詳しい神戸学院大学の岡部芳彦教授は「ウクライナ側から見れば、ロシアのキエフ・ルーシ起源説は16世紀のモスクワ・ツァーリ国のイヴァン雷帝の頃に唱えられ始めたことで、その論理はいわば“後付け”です。ウクライナの歴史家が指摘するように、ロシアの起源はキエフ・ルーシまでさかのぼるよりも、むしろ13世紀後半以降に成立したモスクワ大公国が拡大してできたと思われる」と説明します。
そのうえで岡部教授は「ウクライナからみると“ロシアがルーシの名前を盗んだ”というんです。...