徳川政権が旧来の寺社仏閣を管理してたけど天明天保の大飢饉以降は
飢饉による社会不安で天理教等の徳川政権の管理下にない新宗教がどんどん生まれて幕末に水戸学と融合して
天皇公家が新宗教を掌握してそれをコントロール下において国家神道をつくってそれが現在の日本会議系列になっている  との見立て