韓国・北朝鮮 総合スレ3
正男氏が西側のメディアに「私は3代世襲に反対する」と語ったことが金正恩政権の怒りを買ったのか、それとも、父親の海外資産を管理していた金庫の鍵を渡さなかったからなのか、
あるいは再三にわたる本国召還に応じなったことで疑心暗鬼となったのか、殺害の動機が今一つ不明だった。
最も不可解なのは「キム・チョル」名義のパスポートが3ヶ月前の2016年11月9日に更新されていたことだ。それも一般旅券でも、公用旅券でもなく、外交官旅券であった。
正男氏は金正恩政権発足(2012年)から一度も帰国していない。従って、パスポートは正男氏が行き来していた中国、シンガポール、マレーシア、ロシアのどこかの北朝鮮の大使館や領事館で本人自らが足を運び、更新したことになる。 北朝鮮が早い段階から正男氏の命を狙っていたならば、トルコの大使館で殺害されたサウジアラビアのジャーナリスト、
カショギ氏のように更新に来た時点で身柄を拘束して、密かに本国に強制送還させることも、あるいは監禁して殺害するか、尾行して居所を突き止めたうえで殺害することもできたはずだ。
正男氏の最大の庇護者である父・金正日総書記が死去したのが2011年12月17日、父死後後見人として支えてくれた叔父の張成沢党行政部長(兼国防副委員長)
が粛清、処刑されたのが2013年12月12日。正男氏が殺害されたのは父死去から5年2カ月、叔父が処刑されてから4年2か月後のことだった。
少なくとも、北朝鮮は正男氏に旅券の更新を許可した2016年11月の時点では殺害するつもりはなかったとみるべきだ。となると、殺害を決断、指示したのはそれ以降となる。