「坂本龍馬」は本物の志士。明治期にはそもそも、国学が無くなっているのでは無いか?
2018年08月23日04:44 カテゴリ:歴史、易学
神仏習合
僧形八幡神。転載元Wikipedia。

そう言えば昨日は、突然職質を受けてダッシュボードの十徳ナイフを没収されてしまったが、それも恨む気にもならない。
j.oジレジの背乗りや、その他共謀でっち上げに注意したい。
皆には大義を持って、真面目に明日の生活の為に日本のあり方を考えて欲しい。

私の様に宗教の歴史に疎い者が論じては軽はずみに論じては行けないかと思うが、国学とは江戸初期、
恐らく徳川家が反キリシタンの為なのか、林羅山等朱子学者登用し、取り入れた事にたいするアンチズムでは無いかと思うが。

私からすれば江戸時代の国学から、明治時代のその後の「大日本帝国の様な独裁体制」を作り上げたのが国学と言いたいが故に、事実をねじ曲げているように思える。
そもそも、国学自体江戸後期においては廃れていると言われ、一般的な江戸史解釈としても、江戸時代影響力を強く持っていたのは国学よりも「朱子学」とも言われている。

そして、私の知っているWikipedia様には下記の記事とは全く反対の論評が掲載される。

“江戸時代に入り林羅山によって「上下定分の理」やその名分論が武家政治の基礎理念として再興され、江戸幕府の正学とされた[4]。松平定信は、1790年(寛政2年)に寛政異学の禁を発している。だが皮肉なことに、
この朱子学の台頭によって天皇を中心とした国づくりをするべきという尊王論と尊王運動が起こり、後の倒幕運動と明治維新へ繋がっていくのである。

ただし、幕末・維新期の尊皇派の主要人物である西郷隆盛や吉田松陰は、ともに朱子学ではなく陽明学に近い人物であり、
佐幕派の中核であった会津藩、桑名藩はそれぞれ保科正之、松平定信の流れであり朱子学を尊重していた。

朱子学の思想は、近代日本にも影響を与えたとされる。1890年(明治23年)、『教育勅語』が下賜されると六諭は近代日本の道徳思想として本格的に採用された。
軍部の一部では特に朱子学に心酔する者が多く、二・二六事件や満州事変にも多少なりとも影響を与えたといわれている。”
転載元Wikipedia。