※色んな物が色んな事を教えてくれると言うのが、八百屋にならぶ八百万の神様達であり、また自分の「気持ちや感覚」でそこに辿り着かないと「応用が効かず物事の価値判断が無い出来ない」から意味は無いと言う所が、朱子学を否定している訳だ。

有史以来、人の作り出した「偽物の理」の多くは、人の感覚を失わさせる物が多い様にも感じられ、それらは根本的に独裁者の独善を正当化するために人を制約する物でもあると思う。