朝、車から流れるファシズム。
2018年05月03日05:28 カテゴリ:哲学
書きたく無いことを書くが。
日頃、地元のあらゆる媒体から流れる情報は、ある種の「ファシズム」の様で、その流れに乗らなければ

「恐怖心と渇望感、疎外感」

を感じさせられるこの私の地元にあって、私ほどそう言った「ファシズム」の様な「流れ」を嫌う住民はいないのでは無いかと思う。

私は絶えず「人の気持ち、感性、心」が大切と言って来たが、それは

「人を見る目を養い、地元において人を生かし、あらゆる産業や居心地を良くして地元を住みよい場所にし、生産力を適正化したい」

と、居心地の悪い地元で深層心理において感じているからである。
私は一見、「心が大事」と地元で浮いていると見えるが、こうやって書くと

「ただ居心地を悪くするようなカルトが嫌い」

と言う事で、多くの皆様もあるある共通認識として、理解出来ると思う。
何で勝手にそんな決まり事押しつけるの?とか、何でも「論理的でもないファシズム」に従わなく手は成らないの?
と言う所であろう。

故に私は、「どっちが良い悪い、勝ち負け」と言う事では無くて、

「良い悪い、は個人の個性同様千差万別だから、それぞれ良いところがある」

と言う様な事を理解して欲しい。
それは例えがアレで申し訳ないが、

「百qメートルと時速百qを比べる様な物」

だろうから、中々それを一概に出来ないし、個人のコンディションや歩んで来た道のりでも価値観変化するだろうから、「それを認める」と言うか、「放任」するような所も必要だと思う。
しかし、それでは話がまとめられず上手く行かないし、詐欺師に騙されて

「百万円と百ドルをすり替えられる」

と言う事が、地元では良く起こる様だが、そう言った事に騙されない様にだから私は

「人の気持ちや心を大切にして人や物を見る目を養い、その感覚を信じる気持ちを大切にし、時には命をそれにかける」

と言う様な事を奨励してきたところはあると思う。