過去の少女連れ去り事件で、俺がその犯人の心理や家庭環境を想像した時に、
捨て猫を持ち帰る心理と似ていると、確かに書いた。
それが放置技内で反感を買ったのも、あの飯山今一郎がそこを捉えて俺をクソミソに書いたのも、
印象的に憶えている。アレが俺を俺としてキチガイ扱いされた決定打であり、放置技内の異分子として扱われ出したキッカケだったね。

当時のテレビ報道を思い出して欲しい。あの異常な報道体制は、政治の歪みや乱れを報道すべきところの目くらましとして機能していた。
小沢一郎の冤罪報道も同じだが、小沢一郎が無実だった報道には力点を置かず、
のりぴーの大麻事件でかき消す報道体制の異常さをまざまざと見せつけられた事が、
何度もあるのであり、今現在の極めて異常な報道の在り方には、疑念の余地は無い。

最近も新潟で少女惨殺事件があったのだが、その事件がまた、アベシンゾー一味の目くらましに利用されている。
生きる意味を無くす人生しか見えないのであれば、少女誘拐や殺人行為、あるいは自殺者の増加は必至だろう。

見捨てられた心や自我や心理は、子猫を連れ去る感覚で、少女を連れ去ってしまう。