ネットゲリラ氏が日本会議やネトウヨをクソミソに叩く記事が散見される。
飯山今一郎とか提灯持ちブロガーの気持ち悪さとは距離を置きたいという表明でもあるだろう。
どんどんやってください!という感じだが、ネットゲリラ氏もセクハラ問題はなんとなく逃げ腰。
自分が生きて来た過程にセクハラ以上の過ちの猛省を迫られる問題だから、
流石のネットゲリラ氏もチャラチャラした言葉で記事は書けない。

音楽や美術に含蓄か造詣か造形が深いほど、自己保身の汚さと、
安易には解消出来ない自己批判の苦しみを識っているのである。
独りファシズム氏が自分の言論活動を途中放棄して逃げた理由もそこにある。

真実の追求は自分史の反省を伴うので、消えない過去に苦しむ。
昔の自分の過去の記憶に、おののくのである。
それぐらいピュアであるから言葉を濁したりしらばっくれたり
記憶が無いと言い切る政治家や官僚答弁を見聞きして、
相手を責める言葉にも躊躇してしまう。
自戒という未だ自分自身が到達していない地平に降り立っていない自分に自信が持てないからである。
それが普通の人間の感覚を持てた大人である。

それに比べてヘイトスピーチが平気でやれてしまう人間性を脱却するのは、もっと簡単なんだけどね。w