《貞観政要・その五》君道第一/君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり

貞観二年、太宗が魏微に尋ねた。「明君と暗君はどこが違うのか」
魏微が答えるには、「明君の明君たるゆえんは、広く臣下の意見に耳を傾けるところにあります。
また、暗君の暗君たるゆえんは、お気に入りの臣下の言うことしか信じないところにあります。

詩にも『いにしえの賢者言えるあり、疑問のことあれば庶民に問う』とありますが、聖天子の堯や舜はまさしく四方の門を開け放って賢者を迎え入れ、
広く人々の意見に耳を傾けて、それを政治に活かしました。だから堯舜の治世は、万民にあまねく恩沢が行きたわり、
共工(きょうこう)や鯀(こん)のともがらに目や耳を塞がれることはありませんでしたし、巧言を弄する者どもに惑わされることもなかったのです。

これに対し秦の二世皇帝は宮殿の奥深く起居して臣下を避け、宦官の趙高だけを信頼しました。そのため、完全に人心が離反するに及んでも、まだ気づきませんでした。
梁の武帝も、寵臣の(朱い)だけを信頼した結果、将軍の侯景が反乱の兵を挙げて王宮を包囲しても、まだ信じかねる始末でした。

また、隋の煬帝も、側近の虞世基の言うことだけを信じましたので、盗賤が村や町を荒しまわっていても、故治 の乱れに気づきませんでした。
このような例でも明らかなように、君主たる者が臣下の意見に広く耳を傾ければ、一部の側近に目や耳を塞がれることがなく、よく下々の実情を知ることができるのです」