副島批判についてはちょっと疑問がある

たしかに バビロン捕囚以降からイエズスの時代には アラム語が中心になっていたが
最近の研究では ギリシャ語 アラム語 ヘブライ語が並列的に使用されていたという説が出てきている
ヘブライ語は宗教共同体の内部で口語としても使われていたという説だよ(ムクラン文書や死海写本の分析によってそうとうな根拠が出ている) 
イエズス自身もだからその当時の口語ヘブライ語を知っていたはずだし 口語ギリシア語(コイネー)についても知識があったと思われている
(引用開始)
「新約聖書」すなわち、イエス・キリスト(という変な男)の物語、弟子たちによる言行録は、ギリシア語で書かれていたらしい。
イエスたちが話していたのは、現地語のアラム語だ。
それと、エルサレレムのヘブライ語が、どういう関係だったのか、私、副島隆彦も、まだ、よく分からない。
(終わり)
ここで暗示されているのは イエズス自身が この当時まだ存在してたはずの口語ヘブライ語によって何かの教えを残していた可能性じゃないの?