私の地元に主体性と一貫性が欲しい。
2017年10月26日11:25 カテゴリ:政治、宗教
水面下でどの様な駆け引きがあったのかは知らないが、私は民進党のイメージを払拭する為に無所属や、立民と言うふうにプラカードを変えて選挙戦をするのは、どうかと思うのは、コレらの片方からは、大雑把に反安倍政権、妥当政権、政権批判しか聞こえてこないからだ。

それら、反自民党は演説でも、この非常事態にあって人の悪口、陰口の様な事を喋らず、突然できた立憲民主党や、無所属では尚更主義主張が見られない。

だが、その様子は元々私が多くの地元住民、新潟県民に感じていたことで、とことん「主体性」や「一貫性」の無い県民性で、この様な詐欺師の様なやり方に簡単に流され、騙され安い県民性と言う事だ。

自分で考える事が出来ないから、短絡的な判断で、「人狩り」を行うような「他国の外貨獲得政策」の片棒を担ぐような精度に騙されるのだ。

そしてまた、人狩りを恐れつまらない人生を送るので、そのストレスからか、自身も「人狩り」を楽しもうとする連鎖の止まらない地元なのだ。
そして、愛想笑いで頬が引きつるような者しか居ないのが地元だろう。