「国家体の思想」
2017年09月06日10:57 カテゴリ:哲学
私はただ、いつも誰かに施してもらおう何て考えてない。

施してもらったら、後で何倍にもして返せって集られる世の中だから。

だからいつも、欲しい物は自分で得ようとしている。
人間関係が希薄とかいわれてるけど。
確かにその通りだが、ここまで裏切り、嘘ばかり蔓延り過ぎるから、人を信じるよりも自分の感性を磨いて、詐欺師を見抜く目人の価値の本質を見抜ける様にならなければならないと言う事だろう。

「主体性を持った少数精鋭でまとまれば良い」

と思っている。誰も後ろから撃たれたくないから。

当然の事だと思うが、やっぱり人間って奴はひとりで生きて行けない者だから。
考えてみれば独りで畑を耕し、金銭を得て衣服や住居、子供を育てる事もままならないのは、石器時代においてもそうだった筈だ。

社会性を持つ人間の本質は、本質的に「分業」にあるのかも知れない。
人間社会、経済の本質が分業であるから、社会に「信頼」や「信用」が必要と言う事であり、故に「詐欺師」は本来必要ではなく生産的ではないはずだ。

その社会全体の「分業」やら、「生産性」を守るために、「詐欺師」を抑制する社会規範が必要であり、それが憲法みたいな物の存在価値である筈だ。

言葉遊び、言葉狩り、人狩りで「日本国憲法」を貶め、警察をはじめとする国家機関、国家公務員が同じ様に「人狩り、言葉狩り」をする。
又は、その様な行為を賢いと信ずることは、「公益性と言う意思を持った国家体」の大きな損失である。