じゃキミのようなあさはかなネトウヨ〜んにもうひとつプレゼントw


…これに反して誇りの中でも最も安っぽいのは民族的な誇りである。
何故かというに、民族的な誇りのこびりついた人間には誇るに足る個人としての特性が不足しているのだと言うことが、
問わず語りに暴露されているからである。
すなわち個人としての特性が不足していなければ、何もわざわざ自分を含めた幾百万の人間が
共通に備えている要素に訴えるはずがないからである。立派な個人的長所を備えた人は、
自国民の欠点を常日頃見せつけられているのだから、この欠点をこそ最もよく認識するわけであろう。
ところが何一つ誇りとすべきもののない哀れむべき愚者は、たまたま自分の属する民族を誇りとするという
最後の手段を命の綱と頼むのである。

(中略)

民族性は集団に関する表現であるから、正直な批評を下せば、早々良いことが多く言えるものではない。
むしろ人間的な愚劣さや不合理や弱点が国が変わるごとに手を替え品を替えて現れるだけのことで、
この国ごとに変わった姿をこそ民族性とは言うのである。どれか一つの民族性が嫌になると、また別の民族性を褒めるが、
これもまたやはりいやになってしまう。―全ての民族が互いに嘲笑しあっているが、どれにも言い分があるのだ。


■ソース
幸福について/ショーペンハウアー著 第4章「人の与える印象について」94頁