先の続日本紀で見た通り、ペルシャ人が謁見したのが、
他の誰でもない聖武天皇であることは決定的なことだと思う。
東大寺の大仏は聖武天皇の発願によって作られたものであるし、
その東大寺の華厳宗は、西域文化の影響を偲ばせるものであるからだ。

背景やら何やらを全て把握した上でのことだったのではないか。
二月堂のお水取りにゾロアスター教の影響を窺ったりするより、ずっとはっきりしている。