>>578
 1980年代初めに、セックス・ツアーが抗議によって完全に衰退してしまうと、ヤクザがセックス・ツアーとは別の、しかし
同じように大へん搾取的な種類のセックス貿易すなわち国際的な女性売買に大挙して参加するようになったが、これは
決して偶然ではなかった。日本の暴力団は、貿易の向きを変えることを、つまりアジアの何万人という女性を、合法的な
仕事と良い稼ぎを約束して日本におびき寄せることを恥じらいもなく始めたのであった。
       …(略)…
 19世紀の後半頃までは、日本の貧しい家庭の多くが、自分の娘たちを国際奴隷商人に売り続けていたのだ。奴隷商人は
若い娘たちを船に乗せて、東アジア全域、さらにハワイやカリフォルニアにまでも連れて行った。なかには、ちょうどヤクザの
今日の犠牲者たちのように、稼ぎも良く合法的な仕事だという約束で騙されて売買され日本から離れるや否や娼婦にされて
しまった女性たちもいた。こういう女性売買を日本政府は援助し、後には性の奴隷たちに日本の帝国陸軍、海軍による侵略の
旅にアジア全域にわたってついて行くよう激励した。さらには前線の皇軍≠慰める≠スめ7万人もの朝鮮人女性を徴用
したりしたのであった。
 不幸にもアジアへと売られていった日本人女性たちは、当時からゆきさん≠ニ呼ばれた。日本では今日この言葉をもじり、
日本のヤクザの経営するバーや売春宿にとじこめられている外国人女性を表現してジャパゆきさん≠ニ呼んでいる。
つまり、「日本に行く娼婦」という意味である。
       …(略)…
 恐ろしい話がたくさんある。いろいろいいくるめられて日本におびき寄せられた貧しい女性たちは、ヤクザにパスポートを
取上げられ、売春婦やダンサーさらにはホステスとして無理やり働かされ、気がつくとヤクザのなすがままにされている。