>>577
 1970年代になるとセックス・ツアーが大へんポピュラーになった。そのため、台湾への観光が復活し、韓国との関係が盛ん
になりつつあったにもかかわらず、日本人たちは、他の土地を探しはじめたのである。彼らは、台湾で略奪≠くり返したあと、
ほんの一っ飛びのところにある東南アジアの国々に照準を合わせたのであった。セックス貿易とヤクザが新たに最盛期を
迎えることになるのは、まさにこの東南アジアにおいてであった。
       …(略)…
 アジアで最も豊かな国として、日本が東洋の性の奴隷売買の買手たちをリードする役割を果たすということは予測しえた
はずなのだ。日本のビジネスマンたちの攻撃的な姿勢が刺激となって、すでにこの地域全土で、日本人はエコノミック・
アニマル≠ニ蔑まれはじめていた。今やそれにセックス・アニマル≠ニかセックス帝国主義者≠ニいった名前が加えられた。
酔っぱらって騒がしい日本人が女性の手を引きながら千鳥足で街を歩く様は、戦時中の日本の残虐行為が、まだまだ忘れら
れていないフィリピンのような国に、第二次世界大戦中の日本に対する激しい嫌悪感を再び蘇らせた。
       …(略)…
 この動きに関する初期の徴候は、1960年代の終わりには台湾ですでに現われていた。つまり、このころ安い売春宿を利用
するために、日本の男たちが集団で飛行機に乗ってやって来たからである。
       …(略)…
 1965年に日本との関係を正常化してからは、韓国では観光事業が急成長し、1970年代後半になると、毎年65万人以上の
日本人が訪れるようになった。しかしながら、そうした旅行者たちのほとんどが、寺院を見てまわることなどしなかった。
韓国観光省の調べでは、男性の少なくとも8割が、韓国で最も印象的なものとしてキーセン・パーティー≠上げていた。
       …(略)…
 日本国内での反対運動を先導したのは、1950年代に日本で売春防止法が可決された際に重要な役割を果たした百戦錬磨
の行動家集団であり、4000人の会員を擁するキリスト教婦人矯風会である。
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