そもそも、靖国神社は戦前・戦中の国家神道のシステム下においては、
「戦死者を顕彰し、『お国のために死ぬ』ことを価値ある聖なる行為だと信じさせること」
が企図されていたことは今さら疑い得ないことだろう。
「靖国神社」大江志乃夫(岩波新書)や「靖国問題」高橋哲哉(ちくま新書)でも
様々な資料を参照して、そういう意識が当時の国民の間に広く浸透していたことが
示されている。
それは、天皇を頂点とした皇国史観・国粋主義に基づいたシステムでもあった。
東京招魂社を靖国神社と改称し、別格官幣社に格付けした際の、
明治天皇の祭文(1879年6月25日)を引用してみよう。

>天皇の大命に坐せ、此の広前に式部助兼一等掌典正六位丸岡完爾を使と為て、
>告げ給はくとも白さく。掛けまくも畏き畝傍の橿原宮に肇国知食し天国の御代、
>天日嗣高御座の業と知食し来る食国天下の政の衰頽たるを古へに復し給ひ、
>明治元年と云ふ年より以降、内外の国の荒振る寇等を刑罰め、服はぬ人を言知し給ふ時に、
>汝命等の赤き直き真心を以て、家を忘れ身を擲て、名も死亡せしに其の大き高き勲功に依りてし、
>大皇国をば知食す事ぞと思食すが故に、靖国神社と改め称へ、別格官幣社と定め奉りて、
>御幣帛奉り斎ひ奉らせ給ひ、今より後弥遠永に、怠る事無く祭給はむとす。
>故是の状を告げ給はくと白し給ふ天皇の大命を聞食せと、恐み恐みも白す。
(引用は「靖国問題」高橋哲哉(ちくま新書)P100に依る)

ちょっと読みづらい文章だけれども、要するに明治維新以降、国内外の反逆者を服従させてきた際に
私心なき忠誠心で家を忘れ身を捨てて名誉の戦死を遂げた兵士たちの、その「大き高き勲功」のおかげで
大皇国を統治することができるのだと思うので、今後永遠に怠ることなく神として祭祀する
(そのために靖国神社と名を変え、別格官幣社と定める)、と言っているわけだ。
戦死者を「顕彰」する意図であることは明白だ。