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日本人は外交下手
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2010/09/24(金) 12:46:02ID:zyYcqcdd
歴史を見ればわかるように朝鮮征伐(秀吉)、300年にわたる鎖国(家康)、明治以降の日本の海外進出、そして敗戦。
1か0かの選択。外交下手。
戦後の歴史を見ても自民党政権の世界最底辺の外交下手国。そして外交音痴の民主党。
それを振り返って日本人自らが反省すべきこともあると思うのだ。
0576名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/07/20(木) 04:59:18.23ID:XqsOZgmw
>>240
2017.7.17 07:00
【野口裕之の軍事情勢】
中国の宇宙制覇に手を貸すドイツ 独の悪癖「チャイナ愛」で自衛隊保有の米軍最新鋭戦闘機の技術が流出か
http://www.sankei.com/politics/news/170717/plt1707170001-n4.html
 ドイツの悪癖「中国愛」の腐臭は耐え難いが、米国の承認で、わが航空自衛隊で今年度中に配備が始まるF−35の機密も
漏れ出す懸念がある。かつて日本は中国大陸を舞台に、ドイツと米国に「後ろからバッサリ」斬られているが、歴史は繰り返されるのか。
 支那事変において、「米国義勇軍」を騙(かた)る米軍・対日航空戦闘部隊が中国・国民党軍を密かに支援した。
米国は当時、大日本帝國の仮想敵国であり、小欄のテーマは「中独合作」であるため今回、米国は取り上げない。
以下、薄汚い「中独合作」を説明しよう。
 軍近代化を迫られた中国・国民党は満州事変(1931〜33年)後、独ワイマール共和国や続くナチス政権に接近。
軍事用鉱物資源獲得の下心もあり、ドイツは1927〜38年まで軍事顧問団を送り続けた。
 とりわけ、1934年より1年間団長を務めたハンス・フォン・ゼークト退役陸軍上級大将(1866〜1936年)は、
第一次大戦で壊滅状態に陥ったドイツ軍の再建と将来(電撃)戦への青写真を確立した「ドイツ軍の頭脳」と畏敬された人物。
国民党の蒋介石・前国民政府主席(当時、1887〜1975年)に、大規模・低練度だった国民党軍の装備や機動性の向上を具申した。
後継団長アレクサンドル・フォン・ファルケンハウゼン退役陸軍中将(後に歩兵科大将に現役復帰、1878〜1966年)も
路線を踏襲し、ドイツ式教育訓練を続けた。
 方針に沿い、8割が非近代兵器だった国民党軍に鉄帽/小銃/各種大砲をはじめ戦車や戦闘機を輸出。
ドイツで教育した中国人技術者運営の各種工廠では双眼鏡/狙撃銃用照準/小銃/機関銃/迫撃砲/装甲偵察車両
/大砲/ガスマスクを生産した。毒ガス製造施設建設こそ中止されたが、化学研究所はドイツ企業の援助で完成した。
0577570
垢版 |
2017/07/20(木) 04:59:56.43ID:XqsOZgmw
 折しも、国民党軍による攻撃に日本軍が応じ第2次上海事変(1937年)が勃発するや、ファルケンハウゼンは蒋に
消耗・ゲリラ戦に持ち込み大日本帝國陸海軍を疲弊させる作戦を進言。上海西方に構築した塹壕とトーチカによる
要塞線=ゼークト線に日本軍をおびき寄せんとした。日本軍は圧勝したが損害は予想外に大きかった。
 軍事資源を産む鉱山・工業地帯と沿岸を結ぶ鉄道敷設でも中独は利害が一致。ドイツ技術を投じた貴陽〜南昌〜杭州や
漢口(現在の武漢)〜広州路線は、軍用としても日本軍を悩ませる。

ドイツは日独防共協定締結の陰で、日本が交戦中の中国に武器密輸し続けた

 米国のように敵性国家であれば、水面下で軍事支援は諜報工作の一環との見方は許されようが、ドイツは違う。
第2次上海事変の前年=1936年に(対ソ)日独防共協定を結びながら、日本と交戦中の国民(党)政府への武器密輸
を継続したのである。
 けれども、背信行為は報いを受ける。国民(党)政府は1937年、ドイツの仮想敵・ソ連と中ソ不可侵条約を締結してしまう。
これで態度を硬化させたアドルフ・ヒトラー総統(1889〜1945年)がやっとのこと、新たな兵器輸出を禁じた。
それでも受注済み兵器は契約通り輸出され、完全な禁輸&軍事顧問団撤退は、ドイツが満州国を承認した1938年に入って。
国民(党)政府と断交し“親日”の汪兆銘政権(1940〜45年)を承認したのは、驚くべきことに、日独伊三国同盟締結後
1年近くもたった41年になってだった。
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