日本人は外交下手
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歴史を見ればわかるように朝鮮征伐(秀吉)、300年にわたる鎖国(家康)、明治以降の日本の海外進出、そして敗戦。
1か0かの選択。外交下手。
戦後の歴史を見ても自民党政権の世界最底辺の外交下手国。そして外交音痴の民主党。
それを振り返って日本人自らが反省すべきこともあると思うのだ。 【歴史】「日本人とはみな小男なのか」→「閣下の如き大男はいるがみな愚鈍」…政府の面々は、小村寿太郎の爪の垢でも煎じて飲め[12/16]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1292498513/
87 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 11:34:50 ID:rfifaxXD
日本政府はハリマンの満鉄共同経営の申し出に乗らんとしたが
ポーツマスから帰朝した小村が断固反対して遂に白紙に返した。
1909年には、ロシアと日本とが一緒になって
米国務長官ノックスの満鉄中立化案を拒絶する。
この経緯に米国政府は面白いはずがなく、カリフォルニア州で日本人移民が排斥される伏線となった。
この時の日本の決定を非難する者は、要するに米国と共同で満州を経営していたなら、
その後の歴史は違っていたろう、というのみ。確かに違っていたろう。
が、それは、日本が米国に完全に屈伏する日がより早まるだけの違いであった。
小村は、この時ばかりはまるまる正しいのだ。
当時の清国の鉄道は、土地は清国のものでも、沿線の土地はほとんど
敷設国の国土と化し、ターミナルはほとんど「植民市」の様相を呈していた。
大連やハルビンなど、旧ロシアが鉄道沿いに建設した満州の大都市がロシアの街そのもので
あることを見たなら、誰でも分ることであった。
すなわち中国大陸における鉄道事業とは、戦争なしで領土を拡げることに他ならなかったのだ。
利口なウィッテは対外戦争などという金ばかりかかる手には反対で、
この鉄道外交のみで遂には清国を支配できると目算していたといわれる。
考えて見よ。もし日米で、ロシア抜きの満州鉄道経営に乗り出したとしたら、
必ず今度はロシアだけでなく、イギリスも、妨害や嫌がらせに乗り出したことであろう。
そもそも列強による清国分割は、ドイツによる膠州湾占領から露骨となったものだが、
始めソールズベリは、それが対ロシア牽制になるという理由で、黙認していた。
しかしドイツが租借地を排他地域にしようとしていることが明らかになるや、
手の平を返したのである。 他方、米国の大きな目的は、当時ロシア独占の満州市場で、米国製品を売ることであった。
その中には石油製品から軽工業品から重工業品まですべてカバーされていた。
どうしてそこに、日本製品が割り込む余地などあっただろうか。
額にしてほとんど取るに足らない品物を細々と売ることができただけであろう。
今日の日本の金融・財政のプロが、アメリカの金融・財政のプロに太刀打ちできぬように、
明治末の日本にも、米国政府・議会の後押しを受けた鉄道王と対等のポリティカルーゲームの
できる人材にしろ機構にしろ、到底あり得ることではなかった。
「共同経営」などと夢想しても、日本は早晩、経済的にも法的にも、
満州から締め出されている自分を発見しただろう。
しかしそれでも日本は軍事的プレゼンスだけはごく近いところに維持する訳だから、
第二次日露衝突よりも先に、日米戦争がやってきたであろうことは、想像するに
さして難くないではないか。日本人に世界倫理の構想があれば、対地球の宣伝の一貫として
「共同経営」で頑張ることもできたかもしれないが、それは日本人にはできなかった。
今もできない。
もしも、本物のグローバルなフリートレードが行なわれたなら、世界貿易に
覇権国が一つだけ生まれることは簡単にありえる事態である。
いわんや、満州という狭い市場に於てどうしてそれが起らないか。
かつて英国が最強の貿易国であったとき、米国は孤立主義をとった。
小村が満州でそれと同じことをやろうとしたのは、過去を良く知り、
先も良く見えていたというべきだろう。
小村寿太郎は、ポーツマス講和会議ではウィッテに敵わなかったが、
ハリマン問題では一人よく日本の国益を守ったと評価されて宜しかろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています