荒らしている人は、その荒らし行為によってささやかな自己実現と承認欲求が強い人だと思うよ
孤独に耐えらなくてトラヴィスに惹かれているのだろう
さらに、その前提に大きなコンプレックスが存在する筈だ。
タクシードライバーという映画は元々、社会病理と一個人の実存との機能不全を描いた映画だ
語ろうとすれば、この映画から多くの事が語れる
それらは一見、インテリだけの特権かのように誤解されもするだろう
例えば実存主義的に、ポスト構造主義的に、フーコーやドゥルールや
チョムスキー博士の生成文法理論や構造依存性などなど
いくらでも語る事が出来る映画だ。

トラヴィスと自身を重ね合わせた社会病理の被害者達が、これらの文言を見れば
タクシードライバー以上の社会的疎外を感じるかもしれない。
荒らしもタクシードライバーのファンではあるのだろう。
彼らはトラヴィスが住むスクリーンの世界に入りたいのだ。
そして、決して観客の知的な考察を聞きたがらない。
それは、悪い事では無いかも知れないが
観客の知的考察を聞かない為に、先制攻撃として荒らす
荒らしている間は知的考察を目にする事は無い。
荒らしている間はトラヴィスの住むNYCで安らぎを得ている。

あなた達の知的考察を聞いて、アイデンティティ・クライシスを起こさないように
彼らは荒らし行為を継続している。