>>249
映画の脚本というのは建築における設計図とは違うんだよ
そもそも制作前に決定稿になっているとは限らないし、もしそうだったとしても現場の意見やスケジュール、予算、その他様々な要因で常に変更が加えられる性質のものだ

下敷きとなる脚本を映画として具現化するのが監督の仕事であって、脚本では具体的に描かれていない部分をビジュアル化するのも監督の裁量だ
脚本は「この通りにやれ」という指示書ではない
もしそうなら誰が監督をやっても作品は同じ仕上がりになるはずだが無論そんなことはない

問題の旅客機墜落シーンでは機は大爆発を起こしているが、燃料切れ寸前の飛行機が墜落してあんな大爆発になるわけがない
そのように描いたのはレニー・ハーリンであって他の監督なら違う描き方になっていたかもしれない
もしそうなら乗客の命運やラストの印象も大きく異なっていたのだ
これはレニー・ハーリンが繊細なリアリティの感覚を持ち合わせていなかったために作品設計を大きく失敗している部分の典型例であって、大作の監督として甚だしく未熟と言わざるを得ない

そういった演出上に至るところで散見される未熟さが悉く作品のリアリティを損なうことになっている
Wikipediaに載っている部分以外にも、ちょっとしたところで映画の演出として首を傾げざるを得ないところが無数にある
これはもはやミスではなく単に「映画を知らない」のだ
映画として当たり前の文法を知らないので派手なアクションや爆発で誤魔化すしかない

緻密な作品設計の意識がなければ、どれだけ映像的に派手ないへマントを繰り広げようがそれは単なるバカ映画だ