HELP!4人はアイドル♪BEATLES
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>>772
コードと言えば、黛氏は、某映画音楽だか何かで使われているメロディーを聴いていたらコード進行が完全に『ヘイ・ジュード』だったとも。
また、ビートルズはジョンが作詞でポールが作曲担当だwとか愛嬌のあることも言っていた。 >>773
いちばん最初は自分もそう思っていたよ
日本の曲でも、作詞・作曲の順に名前が載るからね
レノン/マッカートニーと書いてあれば、勘違いしても不思議ではない せやな
リードギターはジョージ・ハリスンという触れ込みだったんで
「タックスマン」やら「グッドモーニング・グッドモーニング」のリードギターも
ジョージがやってんだと信じて疑わなかったもんじゃったw 当初、ジョン・レノンが作詞で、ポール・マッカートニーが作曲をすると紹介されていた
ジョンは作詞が根柢にあり、先ず詞ができてそれに曲をつけるのに対して、ポールは曲が先行する
インタビューなどでそういう二人の曲作りについて答えた事から、その特質が単純化されて作詞、作曲を分担するという話になったのかも知れない ( ,_ノ` )y━・~~~
兎も角 BEATLES… ( ,_ノ` )y━・~~~
THEは付けずとも
本当にファンさ
心配ご無用 アメリカは敬意を表して THE をつけなかった
それだけ世界一と認められたバンドだったから GOD (John Lennon)
‥ I don't believe in Beatles
I just believe in me
Yoko 吉田英男(自民) 三浦市長まとめ
・ 親族を市役所に勤務させて市から給与を支払わせていた。
・ 市長が公用車で川崎のソープ街に乗りつけていた。
・ 京急長野カントリークラブの接待も公用車を使っていた。
・ 旅行の羽田空港まで送り迎えにも私用していた。
・ 更に愛人宅まで公用車で帰宅もしていた。
・ 上記をチクった市職員は降格している。
・ 公用車運転記録を住民監査請求したら秘密委員会で破棄された。
・ 上記を議会に問いた議員は現在村八分にされている。
・ 市長報酬の値上げをしている。(市長年収1800万 会社不労所得2200万)
・ 前年の台風被害の復旧工事は特別会計から数割しかされていない事実。 フロム・ミー・トゥ・ユーもつまらない曲だよな
デル・シャノンがカヴァーして初めて全米にビートルズの存在を知らしめたが フロム・ミー・トゥ・ユーは、63年春に英国でシングル盤として発売
大ヒットして全英1位を7週間続け、シングル盤として70万枚を売り上げた
63年春の渡英でビートルズと同じテレビ番組に出演したデル・シャノンは出たばかりのこの曲を知り、帰国して早速カバーしたレコードを出し、全米77位となった
64年、ビートルズによりあらためてプリーズ・プリーズ・ミーの B面として発売、ビルボード誌、キャッシュボックス誌ともに全米41位を記録した 今、フォーシーズンズの映画が始まった
これを観れば、50〜60年代アメリカンポップスの雰囲気がわかるし
ここにビートルズが飛び込んできて、どんな影響与えたか、想像するのも面白いと思う "The Beatles Vs The Four Seasons"
1964 Vee Jay Records VJLP1062
ビートルズとフォーシーズンズの曲が12曲ずつ入ったお買い得な2枚組LP! なにかご用命のものがございましたら
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愛をこめて 尼からあなたへ ♪あ 悲しくなるだろう 今日からあ〜〜〜〜〜 いぇいっ! ギター、ドラムだけで演奏してたシンプルな頃のビートルズはいい 楽器の種類が素朴なのはいいね
他のグループだと
サファリーズのピアニカ
ゲイリー・ルイスとプレイボーイズのアコーディオンなど 恋する二人は二重録音なのだ
ハモニカ吹きながら歌えるわけがない >>594
スタジオ録音でわざわざしないだろうけど
歌えないことはないだろう タバコふかしながらドラムを叩くリンゴには呆れた思い出がある。 ボブ・ディランの風に吹かれても自力だろう
ハーモニカは間奏だけだし そういえば、恋する二人以外
ビートルズは、間奏のない曲が多いな
間奏といえば思い浮かぶのが、サーチャーズの「恋の特効薬」
タタン、タタン、タタンタタタンタ
ここを聴くだけで60年代が蘇る、まさに、ザ・間奏だと思う ちなみに、ザ・前奏なら
「悲しき雨音」か、「朝日のあたる家」な
異論は認める のっぽのサリーのリードは前半がジョン、後半がジョージなんだよ ロール・オーバー・ベートーヴェンのイントロはじつにカッコいい
本家のチャック・ベリーを上回る わしは涙の乗車券、BACK IN THE USSR、DRIVE MY CAR等のイントロ大好きだ 逆に、記憶にはよく残るが、あまりいいとは思えないのは
ディジー・ミス・リジーかな 初期のビートルズは激しくシャウトしていた
若さにあふれていたからね ビートルズ以前にシャウトしてた歌手はリトル・リチャードだけ
プレスリーでさえシャウトしなかった ロックンロール・ミュージックの最後の方
明らかに息を切らして唄ってるのが、人間臭くていい
撮り直しする時間余裕がないぐらい、忙しかったんだろうな ビートルズ65のアルバムは忙しくて曲が間に合わず、カヴァー曲を入れて制作された >>813
シャウトの起源はスクリーミン・ジェイ・ホーキンス!
宗教的祭事のシャウトの起源はメソポタミアのシュメール人!
(下の文は多分ガセネタね) 「ゼアズ・ア・プレイス」のシンプルな歌唱は好きだ。 日本盤2枚目のアルバムは1枚目に比べるとシングル盤B面の曲ばかりが寄せ集められてた
いい曲はほとんど1枚目のアルバムに収録されてしまっていたからね 日本では2枚目まではモノラル盤で発売されてたんだよ
3枚目の映画盤からステレオで出るようになった 本邦初発売のハードディズナイトのジャケットは日本オリジナルのもの イギリスNMEが紙の毎週発売していた紙の発行を終えることを今月発表した
ポール他有名ミュージシャンが感謝と感慨のコメントを伝えた
今後はネットでの配信に力を入れるという 時代は確実に進んでいる 東芝オデオン盤のジャケットが黄ばんできた
どうすればいいのか? おせーろ 当時はペラジャケが多かった
厚手ジャケットになったのは「ヘルプ!」から 前田武彦と木元教子の東芝ヒットパレードは
ハガキのリクエストが、曲名ではなくレコード番号だった
だから、スローダウンはマッチボックスにカウントされ
エイト・デイズ・ア・ウイークはノー・リプライにカウントされた
名コンビで好きな番組だったが、そこが欠陥だったな 木本教子はTBSのアナウンサーとなってニュースキャスターのはしりとなり、その後フリーとなってフジテレビのワイドショー司会者となったその頃、東芝ヒットパレードを前田武彦とやっていた
ラジオを聴いていた頃は経歴など知らず、ただもう年齢を食った落ち着きのあるしゃべりをするオバハンという感じだった
マエタケはその後、テレビ生番組で共産党万歳と叫んでディスられ、没落一方
対して木本教子は道をあやまたずその後もご活躍、今も政府委員などやって勲章ももらっている マエタケは、昼12時の番組と、夜のヒットスタジオの司会をやってるころは
地球はマエタケを中心に回っている、それぐらいの人気だったな
東芝ヒットパレードでも、そこそこ洋楽の造詣はあった 俺が俺がの巨泉よりは、よほどマシだったわ
当時の洋楽解説者なら
福田一郎、高崎一郎、小島正雄が詳しかったかな 高崎一郎は主婦相手のくだらない番組を担当してから地に落ちた ポピュラー音楽の評論家では福田一郎がいちばんまともだった。 糸居五郎は評論家ではなくてアナウンサーだが、DJをやってりゃ似たようなもんだったかな S盤アワーというラジオ番組もあったが、かかる曲が古臭く、S盤とはSP盤のことかいなと思ったりした
日本ビクターのレコード番号らしいが 昔のラジオは各メーカーがbackupした音楽番組がいろいろあった
ビクター、コロムビア、キング、東芝、グラモフォンなど
毎月の新譜を流して宣伝したり、専属歌手の特集を聞かせてくれた 毎週、ラジオのヒットパレードが楽しみだった青春時代が懐かしい >>838
たいていの番組にあった新曲紹介コーナーが、楽しみでわくわくしてた
「太陽を探せ」を聴いたときは、「おっ、懐かしのサウンドが帰ってきた」
「悲しき願い」のときは、「アニマルズがついに神曲を出したか」
いつも、そんな期待感があったね
アニマルズは、前作のブーンブーンがだめだったから、なおさらだった 毎月、レコード店に行くと各社の新譜案内カタログが店先に置かれてあった
いろいろもらってきて見るのが楽しみだったな そんな皆様の次世代だな。僕は。オールナイトニッポンの糸居さんしか知らない。 レコードマンスリーは無料でくれたレコード店と
50円で売ってたケチなレコード店もあった 東芝のシングルは、文字通りドーナツ盤だったが
ビクターなんかは、中央部がアダプターのいらない構造になっていたね 糸居五郎は戦前の満州で森繁久彌とともにアナウンサーをやっていたというから古株だ
だが、オールナイトニッポンでのしゃべりは、「ハイハイ五郎で〜す」と全体にラップ調の軽いもの
その古い履歴などこかへ置忘れてきたようなノリだった 60年代の半ば、キャピトルレコードのカタログでよく見かけたミセス・ミラー
年配の女性シンガーだがなかなかに味わい深い
久しぶりに聴いてみたい
https://youtu.be/fODWNiUct_Q ビートルズが登場する前のキャピトルの看板スターは
ナット・キング・コール、ビーチボーイズ、フランク・シナトラしか知らなかった なに、ミセス・ミラーを知らなかったのか
ネタレコードだぞ ババァであるところに反応してもつまらんよ
歌、歌の下手さに呆れかえって面白がるのさ 日本ではオデオンレーベルだったからキャピトルは無関係だったな ベンチャーズのノーキーも、亡くなったんだな
我々も、どんどん近づいている ガッツだぜ、愛は勝つ、それが大事
そして2018年は
『人生はリベンジマッチ』
↑
名曲、ユーチューヴ検索 リアルタイムにビートルズを聴いて人にお伺いしたいのですが
当時、モッズ系の音楽はどう捉えていらっしゃいましたか? モッズは黒人音楽のことをいう
ビートルズとはまったく違う リンゴがインタビューに答えている映像があるな
−あなたたちはモッズなんですか、ロッカーなんですか
「モッカー」 ビートルズのモップヘアはプールで泳いだあとのジョージの頭を見て思いついた
これは本当のことなのか? まあ諸説あるけど
売れないバンドは、売れるためにいろんな事をやったらしいからな
当時のビートルズも、例外ではなかった モップヘアは全世界のアーティストが真似た
それだけビートルズは音楽以外でも大きな影響を与えた 日本でビートルズがまともに評価され出したのは赤盤・青盤が出てからってホント? >モッズは黒人音楽のことをいう
違うよ
モッズって言うのはR&BやSoul, Funkなど黒人音楽に憧れたイギリス白人の若者が
勘違いして作ってしまった白人音楽の事だよ
ザ・フーとかスモール・フェイセズとか
モッズとは呼べ無いけどエアロスミスもボーカルとドラマーが
ロックバンド形態でJBをやろう!というアイデアから始まって、ああいうロックバンドになった >>861
評価の意味が、よくわからないな
日本のファンに人気が出たのは、昭和39年春
したり顔の評論家どもの評価なら、いつかわからないし、どうでもいい 昭和38年、洋楽に詳しい友達からいまイギリスから凄いグループが出てきたぞと
教えてもらったのがビートルズだった >>847
ナットキングコールやサムクックは
ビートルズの人気が出たころに亡くなったな 東芝が販売権を持ってた外国のレコード会社にワーナーレコードがあった
映画会社のスターなどが歌手としてレコードを出していた
コニー・スティーブンス、トロイ・ドナヒュー、ロジャー・スミスなど
当時の赤盤シングルで買ったよ トロイ・ドナヒューは来日したこともある
品のいいおぼっちゃまだった 「恋のパームスプリングス」というレコードを出してたが、歌手じゃない感がよく出てた 映画「パームスプリングスの週末」は面白かったよ
サントラ盤も発売されたことがる ワーナーにはジョニー・ソマーズがいた
すごいハスキーな声の美人歌手だったな ジョニー・ソマーズと言えばワン・ボーイ
それがヒットした'62年だったか、テレビを見ていたらアメリカ帰りだという松島トモ子が出てきて、向こうで流行っている曲だと言ってワン・ボーイを歌った
子役という齢ではなくなった松島トモ子はこれからは歌手なのかと思いながら見ていたが、‥ならなかったな
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