HELP!4人はアイドル♪BEATLES
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本当に破棄されたのかな?
割れサイトにはマルチトラックがアップロードされてるんだよな
誰かがコピーしてたとかテイクが違うバージョンは残っているとか?
まあ今だとiZotope等のプラグインでトラックを別ける事も出来るかもな ユーチューブでもビートルズ初期曲のリアルステレオバージョンとかがアップされているが、みんな今の技術で作り上げたもの
元のテープが残ってればそういう海賊版ではなくて本家のレコード会社が出す あ、ビートルズの人気がホンモノになってからは、テープは全部残せと命令が出てる
そういう時期のものだったら、こっそりコピーして社外へ持ち出したものがが出回ることはある >>740
もうその話、4回目か5回目
高齢者の宿命ですかな 当時はビートルズはカス扱いされてからステレオテープもすぐに消去されてた
先を見ないレコード会社にはあきれる 「ステレオテープ」ってわけでもないんだがね
あきれないでやってくれ
誰も未来はわからなかったんだから
当時、リンゴがインタビューで将来について尋ねられて答えている
「こういう商売も何年もやってられるわけじゃないから、将来は美容師をやりたい」 シーラヴズユーのステレオ音源ならYoutubeで聞ける
オリジナルのオープンテープを所有してた人がいたから有難い オリジナルのステレオというのはそもそも作られたことがない って言うかさ初期の原盤制作権を持ってた奴って誰なの?
エプスタイン?
投資家?
債務処理や投機関係でマルチが世界中を回ってしまって確認が取れないってだけでは? 権利はそりゃレコード会社
マルチとか初期の頃は無い時代だった
初期ステレオとして出回ってるのはみんな今の技術ででっち上げたヤツ BzやYOSHIKIさんや虎舞竜は特別だとしても
レーベルとかバーニングみたいなエージェントとかフジパシフィックみたいな
音楽出版社って無かったのかな?
初期の音源は録りから2MIXの一発録り?
信じられないけど 初期はチャンネル数が少ないからダビングを繰り返して編集してた シーラブズユーの段階では2チャンネルレコーダー
抱きしめたいから4チャンネル
SGTペパーズでもまだ4チャンネルだったから、ダビング必至だった ビートルズは最初からEMIで録音できたわけではない
EMI傘下のマイナーレーベルで録音開始したはず 最初からEMIでジョージ・マーティンの下でレコーディングしている
(1962.6.6 アビーロド・スタジオでEMIのオーディションを受けて合格)
アメリカではキャピトル傘下のヴィー・ジェイ・レコードというマイナーなところからレコード発売して、売れなかった
その後、キャピトル本体が売り出した ドイツに出稼ぎにきてショボクレてたビートルズを拾ってくれたのがトニー・シェリダン
同じイギリス出身だということもラッキーだった 日本ではマイボニーはザ・ビートルズのクレジットで発売されてた
あとで伴奏しているだけだと分かった マイボニーは、ポリドールだったかな
日本では、日本語カバーが、プリーズ・プリーズ・ミーよりも先にヒットしたけど
当時はまだ、ビートルズというグループの認識はほとんどなかった
とにかく、プリーズ・プリーズ・ミーからだった。日本は。 アメリカ、日本ともにビートルズのレコード発売は遅かった
日本盤シングル発売
1964.2.5 抱きしめたい/ こいつ (東芝音楽工業)
1964.3.5 プリーズ・プリーズ・ミー/ アスク・ミー・ホワイ (東芝音楽工業)
1964.4.21 マイ・ボニー/ ザ・セインツ (ポリドール) (アメリカはマイナーレーベル、ヴィー・ジェイからもっと早く出ていたが、そのときは話題にならなかった) 1963年の春先には、イギリスでビートルズというグループのプリーズ・プリーズ・ミーという曲がヒットして人気爆発しているとの芸能ニュースに接していた
しかし、日本ではレコードも発売されないし、どんな曲かもわからずそのまままた忘れていた
ところが64年初頭にはアメリカで「抱きしめたい」が発売されて大人気と伝わってきた
日本もアメリカにならってレコード発売
すぐに大変な話題となり、レコードを早速買った者から聞かせてもらった
レコードを聴くだけだったので、今この曲を歌っているのは誰で、ジャケット写真のどの顔なんだろうと思ったものだ なるほど…
後追い世代の自分の中学生の頃もヘルプ!のボーカルをポールと思っていた奴が結構いたりしたな 英本国と比べると
ラヴ・ミー・ドゥが1年半遅れ
プリーズ・プリーズ・ミー、アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア、ツイスト・アンド・シャウト
このあたりが1年遅れの発売
「ヤア・ヤア・ヤア」のサントラぐらいから、やっと追いついた 「恋する二人」はラジオのヒットパレードで嫌になるほど聞かされた
日本人ウケした曲だったんだろうな >>766
日本人好みって、とらえ方はさまざまだけど
そう言われる作品はあるね。人物でもある
ビートルズの初期の曲だと
プリーズ・プリーズ・ミー
オール・マイ・ラヴィング
恋する二人
アンド・アイ・ラヴ・ハー
なんかが、よく言われた プリーズミープリーズミーは当時の日本人にはどう聞こえたのかな?
ポールとジョンの2声で始まるAメロ
(上声)RーRーーR ーRーRーRーR、、、、、
(下声)RーM7ー6ーP5ー6ーP5ー3、、、、、
あのAメロは和声に敏感な白人には好感持たれたんじゃ無いかな?
しかも全て4分音符とおもいきや終止形は付点4分音符プラス、裏拍からの16分音符
ビートルズはこういう事を感覚的にやってたんだよな
考えてからメロやハモを作っってない所が天才なんだよ 恋におちたらにおけるジョンの歌いだし、それにポールとの二重唱は素晴らしい かつての「題名のない音楽会」で今は亡き黛敏郎氏が
「恋に落ちたら」の歌いだし(のコード進行だったか)を褒めておったな
ガキだった俺にはその意味がはっきりとは分からなかった
だがこういう世界に通用する大家が俺の大好きなビートルズを褒めておったのが
誇らしかったもんじゃった
昔々
遠い遠い銀河系での話じゃ >>772
コードと言えば、黛氏は、某映画音楽だか何かで使われているメロディーを聴いていたらコード進行が完全に『ヘイ・ジュード』だったとも。
また、ビートルズはジョンが作詞でポールが作曲担当だwとか愛嬌のあることも言っていた。 >>773
いちばん最初は自分もそう思っていたよ
日本の曲でも、作詞・作曲の順に名前が載るからね
レノン/マッカートニーと書いてあれば、勘違いしても不思議ではない せやな
リードギターはジョージ・ハリスンという触れ込みだったんで
「タックスマン」やら「グッドモーニング・グッドモーニング」のリードギターも
ジョージがやってんだと信じて疑わなかったもんじゃったw 当初、ジョン・レノンが作詞で、ポール・マッカートニーが作曲をすると紹介されていた
ジョンは作詞が根柢にあり、先ず詞ができてそれに曲をつけるのに対して、ポールは曲が先行する
インタビューなどでそういう二人の曲作りについて答えた事から、その特質が単純化されて作詞、作曲を分担するという話になったのかも知れない ( ,_ノ` )y━・~~~
兎も角 BEATLES… ( ,_ノ` )y━・~~~
THEは付けずとも
本当にファンさ
心配ご無用 アメリカは敬意を表して THE をつけなかった
それだけ世界一と認められたバンドだったから GOD (John Lennon)
‥ I don't believe in Beatles
I just believe in me
Yoko 吉田英男(自民) 三浦市長まとめ
・ 親族を市役所に勤務させて市から給与を支払わせていた。
・ 市長が公用車で川崎のソープ街に乗りつけていた。
・ 京急長野カントリークラブの接待も公用車を使っていた。
・ 旅行の羽田空港まで送り迎えにも私用していた。
・ 更に愛人宅まで公用車で帰宅もしていた。
・ 上記をチクった市職員は降格している。
・ 公用車運転記録を住民監査請求したら秘密委員会で破棄された。
・ 上記を議会に問いた議員は現在村八分にされている。
・ 市長報酬の値上げをしている。(市長年収1800万 会社不労所得2200万)
・ 前年の台風被害の復旧工事は特別会計から数割しかされていない事実。 フロム・ミー・トゥ・ユーもつまらない曲だよな
デル・シャノンがカヴァーして初めて全米にビートルズの存在を知らしめたが フロム・ミー・トゥ・ユーは、63年春に英国でシングル盤として発売
大ヒットして全英1位を7週間続け、シングル盤として70万枚を売り上げた
63年春の渡英でビートルズと同じテレビ番組に出演したデル・シャノンは出たばかりのこの曲を知り、帰国して早速カバーしたレコードを出し、全米77位となった
64年、ビートルズによりあらためてプリーズ・プリーズ・ミーの B面として発売、ビルボード誌、キャッシュボックス誌ともに全米41位を記録した 今、フォーシーズンズの映画が始まった
これを観れば、50〜60年代アメリカンポップスの雰囲気がわかるし
ここにビートルズが飛び込んできて、どんな影響与えたか、想像するのも面白いと思う "The Beatles Vs The Four Seasons"
1964 Vee Jay Records VJLP1062
ビートルズとフォーシーズンズの曲が12曲ずつ入ったお買い得な2枚組LP! なにかご用命のものがございましたら
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愛をこめて 尼からあなたへ ♪あ 悲しくなるだろう 今日からあ〜〜〜〜〜 いぇいっ! ギター、ドラムだけで演奏してたシンプルな頃のビートルズはいい 楽器の種類が素朴なのはいいね
他のグループだと
サファリーズのピアニカ
ゲイリー・ルイスとプレイボーイズのアコーディオンなど 恋する二人は二重録音なのだ
ハモニカ吹きながら歌えるわけがない >>594
スタジオ録音でわざわざしないだろうけど
歌えないことはないだろう タバコふかしながらドラムを叩くリンゴには呆れた思い出がある。 ボブ・ディランの風に吹かれても自力だろう
ハーモニカは間奏だけだし そういえば、恋する二人以外
ビートルズは、間奏のない曲が多いな
間奏といえば思い浮かぶのが、サーチャーズの「恋の特効薬」
タタン、タタン、タタンタタタンタ
ここを聴くだけで60年代が蘇る、まさに、ザ・間奏だと思う ちなみに、ザ・前奏なら
「悲しき雨音」か、「朝日のあたる家」な
異論は認める のっぽのサリーのリードは前半がジョン、後半がジョージなんだよ ロール・オーバー・ベートーヴェンのイントロはじつにカッコいい
本家のチャック・ベリーを上回る わしは涙の乗車券、BACK IN THE USSR、DRIVE MY CAR等のイントロ大好きだ 逆に、記憶にはよく残るが、あまりいいとは思えないのは
ディジー・ミス・リジーかな 初期のビートルズは激しくシャウトしていた
若さにあふれていたからね ビートルズ以前にシャウトしてた歌手はリトル・リチャードだけ
プレスリーでさえシャウトしなかった ロックンロール・ミュージックの最後の方
明らかに息を切らして唄ってるのが、人間臭くていい
撮り直しする時間余裕がないぐらい、忙しかったんだろうな ビートルズ65のアルバムは忙しくて曲が間に合わず、カヴァー曲を入れて制作された >>813
シャウトの起源はスクリーミン・ジェイ・ホーキンス!
宗教的祭事のシャウトの起源はメソポタミアのシュメール人!
(下の文は多分ガセネタね) 「ゼアズ・ア・プレイス」のシンプルな歌唱は好きだ。 日本盤2枚目のアルバムは1枚目に比べるとシングル盤B面の曲ばかりが寄せ集められてた
いい曲はほとんど1枚目のアルバムに収録されてしまっていたからね 日本では2枚目まではモノラル盤で発売されてたんだよ
3枚目の映画盤からステレオで出るようになった 本邦初発売のハードディズナイトのジャケットは日本オリジナルのもの イギリスNMEが紙の毎週発売していた紙の発行を終えることを今月発表した
ポール他有名ミュージシャンが感謝と感慨のコメントを伝えた
今後はネットでの配信に力を入れるという 時代は確実に進んでいる 東芝オデオン盤のジャケットが黄ばんできた
どうすればいいのか? おせーろ 当時はペラジャケが多かった
厚手ジャケットになったのは「ヘルプ!」から 前田武彦と木元教子の東芝ヒットパレードは
ハガキのリクエストが、曲名ではなくレコード番号だった
だから、スローダウンはマッチボックスにカウントされ
エイト・デイズ・ア・ウイークはノー・リプライにカウントされた
名コンビで好きな番組だったが、そこが欠陥だったな 木本教子はTBSのアナウンサーとなってニュースキャスターのはしりとなり、その後フリーとなってフジテレビのワイドショー司会者となったその頃、東芝ヒットパレードを前田武彦とやっていた
ラジオを聴いていた頃は経歴など知らず、ただもう年齢を食った落ち着きのあるしゃべりをするオバハンという感じだった
マエタケはその後、テレビ生番組で共産党万歳と叫んでディスられ、没落一方
対して木本教子は道をあやまたずその後もご活躍、今も政府委員などやって勲章ももらっている マエタケは、昼12時の番組と、夜のヒットスタジオの司会をやってるころは
地球はマエタケを中心に回っている、それぐらいの人気だったな
東芝ヒットパレードでも、そこそこ洋楽の造詣はあった 俺が俺がの巨泉よりは、よほどマシだったわ
当時の洋楽解説者なら
福田一郎、高崎一郎、小島正雄が詳しかったかな 高崎一郎は主婦相手のくだらない番組を担当してから地に落ちた ポピュラー音楽の評論家では福田一郎がいちばんまともだった。 糸居五郎は評論家ではなくてアナウンサーだが、DJをやってりゃ似たようなもんだったかな S盤アワーというラジオ番組もあったが、かかる曲が古臭く、S盤とはSP盤のことかいなと思ったりした
日本ビクターのレコード番号らしいが 昔のラジオは各メーカーがbackupした音楽番組がいろいろあった
ビクター、コロムビア、キング、東芝、グラモフォンなど
毎月の新譜を流して宣伝したり、専属歌手の特集を聞かせてくれた 毎週、ラジオのヒットパレードが楽しみだった青春時代が懐かしい >>838
たいていの番組にあった新曲紹介コーナーが、楽しみでわくわくしてた
「太陽を探せ」を聴いたときは、「おっ、懐かしのサウンドが帰ってきた」
「悲しき願い」のときは、「アニマルズがついに神曲を出したか」
いつも、そんな期待感があったね
アニマルズは、前作のブーンブーンがだめだったから、なおさらだった 毎月、レコード店に行くと各社の新譜案内カタログが店先に置かれてあった
いろいろもらってきて見るのが楽しみだったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています