HELP!4人はアイドル♪BEATLES
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ストーンズをヨイショしてるへそ曲がりのひねくれ者には困ったもんだ
世間からも相手にされないカス野郎なんだなw 東芝オデオン盤は「ヘルプ!」から厚手見開きジャケットになった
価格が¥1800で赤盤だ モノラルが1500円、ステレオ1800円だったな
この年、確かシングルが330円から370円に値上がりした ビートルズのコンパクトは沢山あったけど
ヒット曲の少ないアーチストは、4曲はめこむのに苦労していたね 映画HELPの挿入曲Ticket to rideの短編映像
最初に映る巨大チケットには日本語で「プレイガイド」や「都電銀座二丁目(?)」等の日本語が見えるんだよね
http://www.youtube.com/watch?v=bYhok-oae_0&sns=em ハード・ディズ・ナイトは東銀座にあった松竹セントラルで
ヘルプは銀座にあったニュー東宝で観た
今はともになくなってしまった映画館だ やぁ!やぁ!やぁ!の時は予算約56万$、HELP!では一気に予算100万$のカラー作品になったんだよな いったんトップの座を勝ち取ると人間はだらけてくる
ハード・ディズ・ナイトの新鮮味がヘルプでは失われた 悲しみはぶっとばせのシーン
床を低くした住宅なんて初めて見て驚いた思い出がある ふっとばせの邦題が、少し流行ったのかな
暑い夏をぶっとばせ/ナットキングコール
GTOでふっとばせ/ロニーとデイトナス
「悲しみはぶっとばせ」はビーチボーイズもカヴァーしていたな あらゆるアーティストにカヴァーされたビートルズの曲
これは最多記録だ 涙の乗車券"Ticket to Ride”のカバーはカーペンターズが最高だな。 厨房の時、涙の乗車券はカーペンターズの素敵なオリジナルだと思うていた
ある日クラスメイトにビートルズが本家だと聞いて、そちらを聴いてみてheavyなリズムと歌に痺れた エルトンジョンはビートルズの曲をカヴァーして全米1位にランクインさせた ジョンのあの事件の直後、地方局で「HELP!」が昼間に追悼で
テレビ放映された!
昼間だったので部活さぼった 当然ビデオ・デッキはまだなかったから
ブラウン管にカセットくっつけて、一生懸命吹替え見ながら録音した
一度リバイバルで劇場で観てたし吹替えなのに、それでも十分嬉しかった
録音しながら、映像見て笑えるわ、ジョンを見て泣けて泣けて
カセットテープには自分の泣き声までしっかり録音されていたよ
その時、「65年の映画だもんなあ古いなあ」って80年に10代の自分は見てたけど
あれから今年で37年も経ってしまったよ こうしてみんなとまだビートルズについて語ってる不思議 12月はクリスマスと同時にジョンが亡くなった悲しい月でもある 12月8日は日米開戦の日と同時にジョンが射殺された日でもある。 ヘルプ!の頃まででジョンは創作能力を使い果たしてしまった
その後は駄作ばかりしか書けなくなった >>31
そう11月29日はジョージの命日だった
TVドラマ『家政婦のミタ』の主題歌、斉藤和義の『やさしくなりたい』
このPVは'66年のBEATLES来日武道館liveを再現しているパロディでありBEATLESへのオマージュ
斉藤がジョン、リリー・フランキーがポール、漫才コンビ2丁拳銃の小堀裕之がジョージ、そしてリンゴ・スターはauのCMの金太郎・浜田岳
特に小堀が当時のジョージに雰囲気そっくりw
(このYouTubeは約一分の短縮版) ラバーソウルからジョンとポールの立場が逆転した
このアルバムがビートルズの分岐点になった 次のアルバム「リボルバー」のアメリカ版LPなどはジョンの作品はカットされたもの リボルバーの収録曲「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」は
シングルカットされてれば文句なしに全米第1位になっていた。 ビートルズをかなり研究してるねw
それにしても小堀wWWW ヘルプ!のアメリカ盤のイントロにはオケが導入されていた 「プリーズ・ミスター・ポストマン」はカーペンターズ・ヴァージョンで
初めて聴いた。日本でもヒットしていたからね。
でも後で「ウイズ・ザ・ビートルズ」を買ったら同曲があったので、
「ああ、これもビートルズ・ナンバーのカヴァーか」とその時は思った。
実はビートルズもカヴァーしていたのは更に後になって知った。 ビートルズによるカヴァーはオリジナルを遥かに凌いでいる
それだけビートルズは音楽の感性がずば抜けていた >>43
アメリカ盤サントラは、007風にアレンジしたサントラ曲も入ってたよね
この頃の英国の最大の輸出品は、007とビートルズ
映画HELP!にも、流行のスパイ仕立てをおとぼけ風に取り入れてたな
それにしてもこの頃の公開映画は寝ても覚めてもB級モノも含めて
007に触発されたスパイ作品の応酬だった!70年代のカンフー・ブームの前哨戦のようだった 音楽学校時代アレンジの講義でドンセベスキーのアレンジ書を取扱った
カーペンターズのザ・ビートルズ・カバー曲のアナリーゼ(楽曲分析)において
カーペンターズの独自性、方向性は
ザ・ビートルズが他者のカバーをした音楽的コンセプトと真逆の方法であったとの事
ザ・ビートルズとカーペンターズのカバーの方法論は全く違うが
既製の方法論からの逃亡である点において、ザ・ビートルズもカーペンターズも同じであった
どちらもクリエイターとしての意地を見せつけた尊敬すべきアーティストだという話だ >>38
>>37
ファンなら誰でも知ってることを自慢気に知ったかするな liveでポールのサージェント-のパワフルな熱唱を聴いて感動した思い出 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドのようなくだらない
アルバムからポールがのさばり始めたんだ マジカル・ミステリー・ツアーでは完全に狂人と化したビートルズが描かれている >>50
私もライブでポールを!ビートルズナンバーを生で現実に聞けて幸せだった♪♪♪
サージェントペパーズを初めて聞いたのは映画『イエローサブマリン』で サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド
Beatles、ポールにミュージカル音楽のセンスがあることを示す事になった作品。 あの異様なサイケ調のジャケットは誰のアイディアなんだ? 後期はすべてポールが3人をアゴで使っていた
ジョン、ジョージ、リンゴが反発したのも無理はない 音楽板のジョンオタ、ストーンズ、プレスリーオタが我慢できずに湧き出してるなw ビトルズ解散で裁判沙汰になったとき、ジョージはポールを徹底的に批判した この映画はカラーで絶頂期のビートルズが見れる
今となってはファンにとっては最高の映画!
しかしポール曰く「ずっと指輪どこ〜って言ってるだけの、つまらない映画だよね
僕らは完全にやる気を失っていた」と後で語ってるのは軽くショックだったな
「何より脚本がビートルズと仲良かった前作のヤアヤアヤアのアラン・オーエンと
違い「ヘルプ」の脚本のマーク・べームはビートルズの事をほとんど知らない
出来合いのセリフを与えられただけだった
みんなセリフを口に出したくもなかったという態度がスクリーンに出てるだろ」
そっかなあ 結構楽しそうに見えるよねw 適当具合がイイ 台本を読んでいちばん喜んでやる気まんまんだったのがポールだぞ ヘルプのA面はジョンの4作品が光っている
B面はポールのイエスタディ、夢の人が光っている ここのスレ面白い
リアルタイムにThe Beatlesを聞いてた人いらっしゃいますか?
そういう人達のご意見・ご感想・蘊蓄が聞きたいな ヘルプの東芝オデオン赤盤LPを持っていたけど、中古レコード屋に売ってしまった
いま考えるとバカなことをしたもんだと思う Help!が発売された当時、初めてLPレコードというものを買った
確か\1,500と記憶している
このスレを見ていたら、ステレオ盤は\1,800で、モノラル盤が\1,500だったと書かれている
一応、ステレオセットで聴いていたのだが、あれはモノラルだったのだろうか
そういうこともよくわからなかったのかなと我ながらちょいと驚く ヘルプの前後ぐらいが、ちょうど値上がりした時期だったと思う
シングルは、涙の乗車券あたりだったかな 中学生の頃、クラスメイトが涙の乗車券のepレコードを只でくれた あの当時のシングル盤はモノラルでしか発売されてなかった
1枚¥330だったよ まだステレオ装置が一般家庭に普及していなかった時代でもあった
よほどの裕福な家庭でしか買えなかった >>70
1960年代初頭に国内メーカーが大々的にステレオの売り出しにかかった
高いセットも安いセットもあり、特に裕福な家でなくても手は出せた
それでもステレオまで買って音楽を楽しもうという気がない家庭のほうが多かった時世ではあったが
うちは'62年に1万円の廉価版と言えるステレオを買った
今の貨幣価値で7〜8万円といった感じかな ジョージ・マーティンはsgt.peppersの頃までもLPをモノラル盤で作っていたが、イギリスあたりは随分保守的だと思う
日本人は新技術家電大好きで、テレビ、ステレオ、カラーテレビ、カラーフィルム、ビデオ、ウォークマン‥と飛びついてきた歴史がある イギリスではLPをモノラル、ステレオと作っていたのだろうが、日本では両方あるやつについては当然のようにステレオしか発売していなかったと思う
イギリスと日本は違う ビートルズが登場したころは
クラスの中で家にステレオあるのは、せいぜい2〜3割ぐらい
たいていは、安物のプレーヤーと170円のレコード針を使っていた
シングルが、330→370→400円と上がっていくのは、ガキにはこたえたよ
LP買えるのは、お年玉貰った1月2月ぐらいだったな >>75
友達のところにあった6万円のも載ってないな
極く一部が書かれてある記事だな
そんなにメーカーや機種が少なかったことはない
うちのはコロムビアだった ステレオ装置が家庭に入り始めた頃はターンテーブルが17pのものばかりだった
おまけに一体型の製品がほとんど 関係ないけど、コロムビア=現在デノンDENON大好き♪
今も老舗で頑張ってるし、イイ音出すよ
今もアナログ聴いてるがデノンで聴いてる 中学のクラスメイトから只で貰った涙の乗車券のシングルレコードは当時500円くらいでステレオ録音だった
B面はyes it isだった…かなあ? >>80
涙の乗車券のカップリングは、イエスイットイズで合ってるけど
500円でステレオなら、シングルではなく、コンパクトLPだな シングル盤は330円でモノラル
コンパクト盤は4曲入り500円でステレオ
コンパクト盤のほうが徳用だった ただ、コンパクトが発売されるのは
曲がヒットしてから、何ヶ月もあとだった ヘルプ!はジョンの心の叫びだった
映画の内容はコミカルに描かれていたけど
ジョンの心情はこんなものではなかった アイムダウンは、日本公演のラストで唄われたが
全体の選曲は、ちょっと違和感があったな
日本でのヒットを重視した選曲という話だったけど
その割には、国内でガンガン流れて、誰もが口ずさんだ
「プリーズプリーズミー」や「恋する二人」は入ってなかった ビートルズ公演の曲目は決まりきったどこでも同じもの
その年その年で改訂はするので、'66年には初期の曲はもう演っていなかった YouTubeで見ると1966年の各国でのコンサートはみんな日本公演と同じ曲目だったよ コンサートのトリを受け持ったのは必ずポールであった 一部のヘビーなファン以外は
「ヒット曲があまり入ってないな」と思ったのは確かだわな 映画『ヘルプ』の「恋のアドバイス」録音シーン
リンゴが葉巻かタバコを燻らせながら目を閉じ恍惚とした顔でリズムを刻む…と記憶
あれは普通のタバコではなかったのだろうか? タバコは吸い放題だったからな
ガムを噛みながら事務仕事をやると怒られたが、タバコは平気だったもの 4人ともタバコは吸っていたからな
だからみんな声が悪かった
歌手の声ではない タバコ以外を吸ってたのはアンソロジーでも話してるけど
さすがにカメラ前ではないだろう メンバーがマリファナを吸いだしてからヘンなアルバムばかり制作されたんだ 今日は命日か…
John Lennon "Happy Xmas (War Is Over)"Offical Video
♪http://www.youtube.com/watch?v=S84RLgnz7Rs&sns=em ジョンが射殺されたことをニュースで知ったときの衝撃は忘れられない
あの犯人がまだ監獄で生きてることがおかしい 何年経っても、あの日のあの時の事が忘れる事はないよね 寒い日だったね
夕方のニュース見て泣いて友達に電話して二人で泣いた
あの時でも本当に大きな事件だったから
今のようにネットのある世の中だったら情報は錯そうして
一晩中日本でもファンが集っていたかも知れない
ジョンが生きてる間にファンという認識を持てた事が振り返ってみてとても嬉しい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています