HELP!4人はアイドル♪BEATLES
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人体をチェーンソーで刻むシーンが出てきて驚いた
ああいうチェーンソーの使い方はウェス・クレイヴンの「鮮血の美学」が最初という
説を聞いたことがあって漠然と鵜呑みにしてたんだが、これが既にやってたんだな
リチャード・レスター偉い リンゴのズボンのチャックがずり落ちてくるシーンでは
観劇してた女の子たちがキャー!と叫んでたっけ
今から51年前のニュー東宝での体験だ この映画で初めて「英国式コメディ」というジャンルを知った気がする
アメリカ映画とはまったく違うギャグなんだよな ビートルズの、「悲しきカンガルー」は、誰が唄っているんだろう
ロルフ本人の声のような気もするが
https://www.youtube.com/watch?v=G2MoheiCmlg かってMLの付録として付いていた4人のメッセージとクリスマスソングを歌った
ソノシートを持っていたけど、どこかになくしてしまったよ クリスマスソノシートも初期の頃は"ポールです。クリスマスおめでとう"みたいなアイドルの挨拶然としたものだった
そのうちにそういうのがアホらしく思って来たのだろう、おふざけがひどくなってくる
ジョンなどは気味悪い声を面白がって出すし、後の"you know my name"のレコード制作の乗りだ
末期の"X'mas time is here again"の歌声も、「ま〜たクリスマスが来ちゃったよ」という感じに聞こえる ハニーカムズのソノシートもあった
来日直前のインタビューで日本のファン向けの
ザッツザウェイの替え歌を披露していたな >>157
MLの付録だったかな。デニスとハニーが喋りまくっていた
ジョン、ポールにクリフ・リチャードもあったね ハニーカムズは、来日を控えて日本で発売したシングル盤の曲(題名は忘れた)しか知らなかった
来日公演をテレビで見ていたら、その日本でだけのヒット曲は唄ったにしても乗り気でない感じ
対して、ハブ・アイ・ザ・ライトという知らない曲は気合の入った歌い方だった
あとで知ったがこの曲は全英第1位、アメリカでも5位を取った彼らの大ヒット曲だったのだ あの頃はのどかな時代だった
今なら著作権法がどうたらこうたらとうるさいからな >>159
何という曲だろう?
アイ・キャント・ストップなら、そこそこヒットしたし >>156
BEATLESの寸劇みたいなものがあり、ジョンあたりが女役で「Nowhere man」をふざけたオペラっぽい感じで歌ったりした内容だった >>145
映画としての価値なんてどーでもいーーー!
んだよ あの当時、バイトして買ったLPがベンチャーズとビートルズだった
東芝の赤盤がきれいで輝いていた
自分の稼いだ金で買えたうれしさは今もいい思い出だ 医大の解剖用死体がホルマリンのプールの中を浮かんでくるのを棒でつっついて沈めるというのが、高額アルバイト伝説だった
あと、高級ホテルで有閑マダムのお相手を務めるというのと この季節になると冬休みにアルバイトして小遣を稼いだ思い出がある
もちろん稼いだ金でビートルズのレコードを買った いたいけない子達がアルバイトをして貯めた金でレコードを買う
ビートルズは勤労生徒達の生き血を吸っていたのであるな ビートルズのレコードはLP、EP何枚も買った
当時の若者のハートをつかんだ東芝は大儲けした 当時の若者って今では60代から70代くらいの年齢の人だよね。
そう考えると感慨深いね。だって当時は戦後20年くらいしか経ってなくて、
上の年代は殆ど洋楽なんて聴いていなかった。
自分は今50代だけど、自分が小さい頃ですら長髪やロックは不良の代名詞。
逆に今の若者はあまり洋楽聴かないんだよね。 戦後間もないから洋楽はほとんど聴かれてなかった、と簡単に総括するのもなんだかと思う
敗戦でアメリカさんがどっと入ってきた
(戦前から西洋あちゃらか音楽の素地もあったけど)
40年代には早くも笠置シズ子のブギウギリズムがヒット
50年代のウエスタンやロカビリーにシビれる若者たち、
60年代の親しみやすいアメリカンポップスをラジオやレコードで聴き、
それをカバーする歌手達のテレビ出演など、一定の洋楽市場はあった
ほとんど聴かれていなかったというものでもない 音楽に限らず、全般にアメリカへの傾斜はたいしたものだったということ あの頃さかんに買った東芝レコードはいまはなくなった
懐かしくもあり、いい時代だったな 東芝にとっていい時代だっただろうな
東芝レコードのアメリカ勢はビーチ・ボーイズが目立っていたくらいのものだったが、ヨーロッパ勢が凄かった
英仏伊と目立つアーチストを網羅し、ローリング・ストーンズが他のレコード会社だなと思うくらいの程度
ブリティッシュ・インベージョンと言われた時代にこれは凄かった
前田武彦の『東芝ヒットパレード』をラジオで聞いていればその時々のヒット曲はたいてい聞けた気持ちになっていたものだ 東芝はビートルズ、ベンチャーズを抱えていたのが強かった
レコードは飛ぶように売れたもの ビートルズNo.5はなぜモノラルで発売されたのか? ドイツ語の2曲はいれる必要なかったな
ほんとうにズッこけたもの 日本でのビートルズNo.5のジャケットは米国盤ビートルズ65のジャケットを使用した オデオン以外のレーベルも、人気アーチストが揃っていたね
キャピトル…ビーチボーイズ、キングストントリオ
リバティー…ベンチャーズ、ジャンとディーン
ワーナー…PPM
デル・シャノンはどこだったかな? ステーツサイドに移籍してからハンディ・マン、太陽を探せのヒット曲を出したぞ
ビッグトップ時代は悲しき街角、花咲く街角、鏡の中のジニーのヒット曲で有名 デル・シャノンは移籍してから何枚かのLPを出していたけど
まさか自殺するとは思わなかった >>163
もしかして、映画のLet it beの価値を認めてくれる方?
あれBeatles解散直前の貴重なドキュメンタリーフィルムなんだよね。
しかも曲作りの過程が(真実かヤラセか知らないけど)記録されていて、
ファンなら一見の価値があると思うけどね。 初めてビートルズをアメリカに紹介したのがデル・シャノンであった
すでに彼らの才能を見抜いていた 「踊ろよ、ベイビー」は、いろいろカバーされているけど
デル・シャノンが一番聴きやすい 悲しき街角や、花咲く街角のころは
日本は、カバーポップス全盛だったな
デル・シャノンは、飯田久彦や坂本九がカバーしていた
どっちも、間奏部分が懐かしい ビートルズが1964年にアメリカへ初上陸したとき
デル・シャノンが滞在中のホテルに出向いて話してるフォトがMLに載っていた >>196
載っていたね
ポール・アンカが足止めを食らったという、おまけのエピソードがあった あの当時のアメリカポップス界はビートルズの凄まじい人気ぶりに嫉妬していた
これは紛れもない事実 そこでアメリカでの対抗馬としてプロデュースによりアメリカ人バンドのモンキーズを立ちあげた(デイビーはイギリス人) モンキーズの連中は楽器演奏もできない、作曲もできない
作り上げられたインチキグループだったんだよ マイク・ネスミスはガチのミュージシャンだったろ 当時から作曲もしてたし
てか今マイク・ネスミス検索してその容貌にたまげた あと経歴にも
多才な人なんやね ビートルズ人気に便乗してアメリカに殴り込みをかけた英国のバンドは数多かった
でもどれも1〜2年程度であっという間に消え去った サーチャーズ、ゾンビーズ、マンフレッドマン、ジェリーとペイスメーカーズ、アニマルズ
デーブクラークファイブ、ハーマンズハーミッツ、ハニーカムズ、ローリングストーンズ
スウィンギンブルージーンズ、みんなビートルズ人気に便乗してアメリカに乗り込んだが
いま生き残ってるバンドは一つもない
いかにビートルズの存在が巨大で偉大だったかが分かる >>203
>いま生き残ってるバンドは一つもない
いや、ビートルズも生き残ってないんだがw
その中ならストーンズだけは唯一生き残っているんだがw >>203
>アニマルズ
エリック・バードンの歌をちゃんと聴いたことないだろう?
レディ・ステディ・ゴーで彼がオーティス・レディングと共演した時は
負けずにシャウトしていて凄かったぞ。
それから、アニマルズの曲はヴァン・ヘイレンもカバーしてるし、
ロックの殿堂入りもしている。 いずれもBEATLESには及ばないが、なかなかに健闘したバンドはいた。 ビートルズのディスクは何回も内容を代えて発売され、そのつど売れている
ところが他の英国バンドはそれがまったくない
とっくに忘れ去られた エリック・バードンも、日本に居残ってあの声で浪花節をやればよかった フロムミートゥユー
アイソーハースタンディングゼア
ドゥユーウォントノウアシークレット
ビートルズは、曲名を
日本人の中1英語の文法に合わせてくれていた Can't buy me loveや I should have known betterはちょいと難しかったけれど ビートルズ解散後の英国にはアメリカで通用する歌手が一人も現れなかったな
いかにビートルズのおかげで得をしたか分かる ビートルズを持ち上げたいからって他のミュージシャンをけなすのはみっともない態度だな。
確かにビートルズは別格だが、アメリカで通用してるミュージシャンなら山のようにいるだろう。
ツェッペリン、クラプトン、ロッド・スチュアート等々。枚挙に暇がないわ。 ビートルズがいなかったら相手にされなかった連中ばかりじゃん イギリスのシンガーなんてビートルズ以外はカスばかり クイーンとかちょっと前はオアシス、今はコールド・プレイ
イギリスでは絶大な人気だけどアメリカではそれほどっていうバンドは多かったな
でも逆にアメリカでは売れまくっても英国では売上に結び付かないってのも多い
最近のイギリス出身アデルやエド・シーランはアメリカ=世界でも売れまくってる
アイドル枠から世界頂点のバンドへ移行してアメリカ席巻したのはビートルズだけ あれほどアメリカ制覇を願ってたクリフ・リチャードはまったく無視された
イギリスではナンバーワンの人気を誇っていたんだが クリフ・リチャードのヒット曲、バチェラー・ボーイ
♪ Son, you are a bachelor boy
Until your dying days
一生、女と結婚する気なんてないクリフの歌‥ オナンは女の身中へ射精する事無く、地に漏らすばかりだった
オナニーの語源であるオナンのやったことは手淫ではなかったのだ
途中で引き抜いたんだ いつものジジイ、こんどはクリフを目の敵か
もう、施設に入れや なぜイギリスのようなポピュラー歌手不毛の地で
ビートルズのような飛びぬけたバンドが出現したのか?
いまもって謎である イギリスでビートルズの後を継ぐアーティストは二度と現れなかったな >>223
ポールの父親は音楽家 小さい頃から音楽に飛びぬけて溢れた家庭に育つ
ジョンはおふくろさんが大の音楽好きでハンジョーの名手
ジョージは早くから音楽に目覚めロックン・ロール
リンゴは義理父のプレゼントで幼き頃ドラムをプレゼントされてからドラム一筋
やっぱり何だかんだでみんなルーツがあるのね
そんじゅそこらの連中が単に集まった訳じゃない4人が出会ったのが奇跡だ ジョンがバンドを組んでいなかったらポールとは永遠に会えなかった >>226
>ポールの父親は音楽家
音楽愛好家ではあったけど音楽家ではなかったんじゃないの?
セミプロとして稼いだときもあったけど基本的には綿花会社の勤め人。
ポールがジョンとの音楽活動でなかなか芽が出なかったときも
いいかげん堅気の仕事につけや、って圧力かけたらしいし。
で、自分も堅気の職につきたいと思ってたポールは(父親はポールの手本だった)
音楽活動を止めて工場に就職しちゃったことがあったそう。で、慌てたジョンに
「俺(音楽)と工場とどっちを取るんだ!」と迫られたとか。 >>228
ちゃんと>>226だが、と前置きしろよ
自演野郎w >>228
ポールが一度は工場に就職した-って話は初耳 >>229
自演じゃねえよ
低能野郎w
>>230
『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』(ジョシュア・ウルフ・シェンク著)
て本に書いてあったことだよ ウソかホントかは知らんw
「ポール 父親」でググれば見つかるよ(内容が読める) >>231俺も初めて聞いたエピソード
90年代前半の来日特番の際、飛鳥との対談でポールがレバー引いたり押したりする
仕草をしながら「労働しなきゃいけない人が多いのに、好きなことで生きていける事
は幸せだ」と言っていた。労働経験あるんだなポールも。 4人とも貧乏人の倅だったビートルズのメンバー
その逆境を跳ね返して地位と名声を得たのは凄い 4人が裕福な金持ちの息子だったら、あれだけの才能は開花できなかった ♪ Christmas time is here again ‥
https://youtu.be/_jxGnP536AU?t=9 確か、有馬記念のころだったな
日本で、アイ・フィール・ファインが発売されたのは Thank You>>237
♪Paul McCartney - Wonderful Christmastime
http://www.youtube.com/watch?v=fwd3J_f4F7w&sns=em ポールのつまらないクリスマスソングなど聞きたくもねえ ビートルズには正規のクリスマスアルバムを残してほしかった
いろいろなアーティストもちゃんとクリスマスアルバムを録音してるんだから >>241
ジョン・レノン
「僕たちはキリストより有名」 プレスリーもちゃんとクリスマスアルバムを録音してる ベンチャーズのクリスマスアルバムはじつに楽しい
赤鼻のトナカイの冒頭はアイフィールファインを借用してるし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています