「ベニスに死す」は世界で初公開された当時、非常に評判が悪かった。
当時は世間はまだ同性愛に寛容ではなかったから。
ところが、日本ではキネマ旬報ベスト1に選ばれ、極めて評価が高かった。
ヴィスコンティはこの日本の高評価について、日本には歌舞伎の伝統があるからだろうと述べた。
ただ、すぐれて芸術的なこの作品は日本での観客動員は少なかった。
そのため、7年後までヴィスコンティ作品の公開は見送られた。
1978年、岩波ホールでの「家族の肖像」のロードショーが大ヒットし、
以後彼の作品が続々と公開されていったのは周知のとおり。