この映画の予告編の血の奔流はどうもワザとらしい。なぜなのか。
血をあのような、現実にはあり得ない奔流として過剰に見せてしまうと、
血が本来持っているはずの属性(血が本来、人に感じさせる筈の気味悪さ)より、
奔流つまり液体の流れ(例えば河)が持っている属性(流れの量、勢いといったもの)の方が強く感じられてしまうからだ。

つまりあのように過剰に血を流すことで、血は逆に血の属性を薄められ、血まがいの赤い流れのようなものになってしまうのだ。
血という気味の悪いものを見せることで、観客を恐怖させようというキューちゃんの目論見は、
血をあまりにも過剰な量で見せることで、空回りすることになってしまったということだ。
コワイだろー!これでもか!とばかりに流される血には、だから何か稚気を感じさせ、微笑を誘うものがある。