ミシシッピー・バーニングというタイトルは南部の田舎町に北部の都会人がやってきたことで起こる騒動を意味してるんだよね。
殺された三人を送り出した団体は中世ヨーロッパの敬虔な親連中が十字軍に子供たちを送り出したように主張のために鉄砲玉
(行って帰らない人間)を送り出したんだよな。
そして三人の命を養分に団体は発言力を得た。
そしてまた彼らを列聖してこの映画をディスっている黒人団体がある。
こういう古代キリスト教的な「聖人としての生け贄」は死刑反対のアラン・パーカーやリベラルっぽい脚本のクリス・ジェラルモ
としては残酷で異常に映るのだろう。
だから映画には三人を「世間知らずのカレッジボーイ」と評する言葉しかないのだと思う。