>>545
結局は小説と映画の作劇手法の違いなんだよね。
読了に制限時間がないから気になったら何度でも元に戻って確認して読み直せる小説とは違い、
待ったなしでどんどん場面が流れていく映画ではリアリティよりもわかりやすさが大切。

殺されたトミーはかわいそうだけど、原作のままだと自分可愛さでアンディーを見捨てた嫌な奴って印象になっちゃうだろ。
それに、所長や主任刑務官の悪さを強調するほどラストのカタルシスも大きくなるわけだしさ。
原作と違って所長や刑務官が交代せずにずっと同じ人物なのも、そのためだと思う。

原作だと外部に協力者がいて資産の運用とか身分証明書の取得とかしてくれてるけど、
映画ではアンディーひとりで全部しなくちゃいけないから、逃走資金の入手方法はあれしかないんじゃないかな。
終盤になってからいきなり『実は協力者がいました』なんてのを映画でやったら、ご都合主義扱いされるのがオチ。

希望に満ちた余韻で終わる原作のラストと比べると、レッドがアンディーと再会しちゃう映画の終わり方に蛇足感があるのは確かだけど、
あのシーンのおかげで解放感とか爽快感は表現できてるのかなとは思う。
俺的には、あの再会シーンはバスに乗ってるレッドの希望的妄想なんだと思うことにしてるけどな。