ロベール・ブレッソン Part II
「ドストエフスキーがロシアの小説に、モーツァルトがドイツの音楽に対して占める位置を、
ブレッソンはフランス映画に対して占めている」──ジャン=リュック・ゴダール
フランス映画のみならず、世界中の総ての先鋭的な映画作家たちのインスピレイションの
源であり続けているこの不世出の映画監督について語ろう。
▽前スレ
ロベール・ブレッソン
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/kinema/1118512452/ おい爆弾を投下するな。
まあ国際的評価なんて水物だし、自分が好きかどうかがすべてだと思うけど。 評価する場合は、自分が好きかどうか、だけじゃ無いと思うよ。どっちも映画史上の存在になってるんだから 評価する場合はそうでも、実際観る時は感覚がすべてじゃん。
おれが言ってんのは観る側の話。 完全に客観的な評価なんてあり得ないしな
かと言って主観的な好き嫌いを述べるだけでは評価してるとは言い難いし難しいね 好き嫌いだけだったら、俺はあくまでAKB48の音楽が好きだから、音楽として
バッハやモーツァルトより優れている、と主張する音楽史家の理屈も成り立つわけだ
どんな高度な技法が使われてるか、独創性、テーマの深浅、など客観的な基準はあると思うけどねぇ その深浅、高度さ、独創性などに客観的基準がないからなぁ
AKBがマタイ受難曲より優れていると主張する奴を根本から論駁することは誰にも出来ないと思うよ >>240
言い換えれば、ドストエフスキーが、俺のガキが三分で書いた作文より劣るという議論が
成立するという主張だよな? キケロの弁論が、ベロンベロンに酔っ払った
爺さんのくだまきより説得力に欠けるとの主張が成り立つという事だよな。
人類ある限り続く種の客観的基準で君は大馬鹿だと思う 厳密にいやあ普通に成り立つんだが...
客観的評価なんてのは自然科学や数学の世界でしか本来成り立たないんだぞ?
君の言う「人類ある限り続く種の客観的基準」ってのは主観的基準の総体でしかない。
例えば科学の世界で定説となってる様々な法則でも、一つでも反例が立証されればその法則は完全に否定されるわけだ。
カラマーゾフより子供が書いた作文の方が良いという主張が一つでもあれば、その客観的基準とやらは成り立たない。
そもそも現時点で証明不可な表現に対する良い悪いを前提条件に「客観的基準」など成り立つはずもない。
とまあ理系と文系の考え方の差異だろうが、厳密に言う「客観」とはそういうもの。
「常識」とか「マナー」と一緒で、なんとな〜く共有され、なんとな〜く時代とともに変化していく程度のもので、
本来的に客観的基準など存在し得ない。多数決の世界の話を、客観的とは絶対言わないんでね。 君はやっぱり万人の基準で馬鹿だと思うよw
その理屈を人前で開陳してみ。阿呆と思われるのは確実に君だ。
俺の娘がゲップのような音を出してそれをどっかの誰かが「史上最高の音楽だ」と
気の狂った主張をしたら、その主張が人類60億対一人で反対されても、
世界中の音楽史家が理路整然と反論しても、双方の主張は等価だ、と
言いたいわけだよねw。論理相対主義とも言うべきか。
1 実社会上、何の意味も無い議論である。人それを時間の無駄と言う。
2 何がより音楽的か、という事にはほぼ確実に種的、生物学的基礎がある
(たとえば絵画における唐草模様や黄金分割などと近い問題)事を無視している
3 まずもって君自身が感情や行動においてそういった主張を裏切っているはず 一応言っておくとおれは240じゃないよ。
あとこれは議論でも何でもないし、客観的か否かなんて議論で決まることじゃない。
「自然」に意味なんてないとも言えるし全ての事象には意味があるとも言えるw
ゲップ云々ってのはとりあえず現代音楽史上での論争でも参考にしてください。
芸術とは何かみたいな話でそれこそ議論されつくしてるしその議論を産むことが芸術の一つの意味とされている。
3がよく意味がわからないんだけど、おれ自身の感情や行動がどうかって話はどうでもよくて、
「その主張が成り立つか否か」って話でしょ?そりゃ「論理的に成り立つ」ってだけの話なんだが...
論理相対主義??主張が等価???
>その主張が人類60億対一人で反対されても、
>世界中の音楽史家が理路整然と反論しても、双方の主張は等価だ、と
結局君の書いてる「客観的基準」とは多数決のこととしか読めないんだけど...何度も言うがそれで「客観的」とはならないよ。 まあ「常識」の範囲内で、『そんな主張したら「気が狂ってる!」って言われる』って意味でならそうだよw
世の中の大多数の人は「科学的な正しさ」なんてたいして興味はないでしょうし。 ああ一行目、二行目にも
>君はやっぱり万人の基準で馬鹿だと思うよw
>その理屈を人前で開陳してみ。阿呆と思われるのは確実に君だ。
とあるな。
やっぱり「世の中の大多数の人がそう思っているであろうこと」を君は「客観的基準」であり「正しい」と言ってる訳だ。
「世の中の大多数の人が正しいと思おうが間違ってる」ことも、「世の中の大多数の人が間違ってると思おうが正しい」ことも
この世にはあるわけなんだが、まあその辺は理解してくれないだろうなw 文系でも「文学とは何か」の文芸批評家イーグルトンや「西洋美術の歴史」の美術史家ジャンセンは
文学や美術を評価する客観的基準は存在しない、もしくは少なくとも未だ発見されてはいないと言ってたな。 「存在しない」とは確かに言い切れないよね。科学は否定が苦手だから。