ロベール・ブレッソン Part II
「ドストエフスキーがロシアの小説に、モーツァルトがドイツの音楽に対して占める位置を、
ブレッソンはフランス映画に対して占めている」──ジャン=リュック・ゴダール
フランス映画のみならず、世界中の総ての先鋭的な映画作家たちのインスピレイションの
源であり続けているこの不世出の映画監督について語ろう。
▽前スレ
ロベール・ブレッソン
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/kinema/1118512452/ 【重要】ブレッソンアンチの特徴【重要】
*映画監督は古ければ古いほど偉いw サイレント映画は素晴らしいww
*小津wwwのファン
*ブレッソンの正当評価(監督ランキング最上位等)を邪魔するためなら何でもやる
頭悪すぎwwww ↑この褒め殺しアンチさんはいつまで常駐するつもり? 時代の変化もあるだろうな 本当に良いものが評価されない時代になってしまった いつまでもこういう曖昧な表現でうだうだ言ってても
誰にも「自分の好きなもの」を認めてもらうことなんざ出来んよ
「最近の若者は〜」並に使い古された文句だわな じゃ、言い換えるわ。今の日本は本当に良い物が正当に評価される素晴らしい
文化的成熟度の時代だ。
これで満足か? 良かったなw 本当に良い物じゃなく自分の好きな物だろ?
やっぱり頭悪いわ。
本当に良いものが評価されない時代になってしまった(キリッ
wwwwwwwww あ、もしかして前スレで絶対的価値の差とか妄言吐いて追い込まれてた馬鹿かな。 また小津ファンのアンチが活動始めたのか
そんな事してもブレッソンが映画史上五位には入る監督で小津ごときは
二十位にも入れない事実は変わりませんからw このスレにはアンチブレッソンが粘着して居ついててそいつは小津ファンらしい おい爆弾を投下するな。
まあ国際的評価なんて水物だし、自分が好きかどうかがすべてだと思うけど。 評価する場合は、自分が好きかどうか、だけじゃ無いと思うよ。どっちも映画史上の存在になってるんだから 評価する場合はそうでも、実際観る時は感覚がすべてじゃん。
おれが言ってんのは観る側の話。 完全に客観的な評価なんてあり得ないしな
かと言って主観的な好き嫌いを述べるだけでは評価してるとは言い難いし難しいね 好き嫌いだけだったら、俺はあくまでAKB48の音楽が好きだから、音楽として
バッハやモーツァルトより優れている、と主張する音楽史家の理屈も成り立つわけだ
どんな高度な技法が使われてるか、独創性、テーマの深浅、など客観的な基準はあると思うけどねぇ その深浅、高度さ、独創性などに客観的基準がないからなぁ
AKBがマタイ受難曲より優れていると主張する奴を根本から論駁することは誰にも出来ないと思うよ >>240
言い換えれば、ドストエフスキーが、俺のガキが三分で書いた作文より劣るという議論が
成立するという主張だよな? キケロの弁論が、ベロンベロンに酔っ払った
爺さんのくだまきより説得力に欠けるとの主張が成り立つという事だよな。
人類ある限り続く種の客観的基準で君は大馬鹿だと思う 厳密にいやあ普通に成り立つんだが...
客観的評価なんてのは自然科学や数学の世界でしか本来成り立たないんだぞ?
君の言う「人類ある限り続く種の客観的基準」ってのは主観的基準の総体でしかない。
例えば科学の世界で定説となってる様々な法則でも、一つでも反例が立証されればその法則は完全に否定されるわけだ。
カラマーゾフより子供が書いた作文の方が良いという主張が一つでもあれば、その客観的基準とやらは成り立たない。
そもそも現時点で証明不可な表現に対する良い悪いを前提条件に「客観的基準」など成り立つはずもない。
とまあ理系と文系の考え方の差異だろうが、厳密に言う「客観」とはそういうもの。
「常識」とか「マナー」と一緒で、なんとな〜く共有され、なんとな〜く時代とともに変化していく程度のもので、
本来的に客観的基準など存在し得ない。多数決の世界の話を、客観的とは絶対言わないんでね。 君はやっぱり万人の基準で馬鹿だと思うよw
その理屈を人前で開陳してみ。阿呆と思われるのは確実に君だ。
俺の娘がゲップのような音を出してそれをどっかの誰かが「史上最高の音楽だ」と
気の狂った主張をしたら、その主張が人類60億対一人で反対されても、
世界中の音楽史家が理路整然と反論しても、双方の主張は等価だ、と
言いたいわけだよねw。論理相対主義とも言うべきか。
1 実社会上、何の意味も無い議論である。人それを時間の無駄と言う。
2 何がより音楽的か、という事にはほぼ確実に種的、生物学的基礎がある
(たとえば絵画における唐草模様や黄金分割などと近い問題)事を無視している
3 まずもって君自身が感情や行動においてそういった主張を裏切っているはず 一応言っておくとおれは240じゃないよ。
あとこれは議論でも何でもないし、客観的か否かなんて議論で決まることじゃない。
「自然」に意味なんてないとも言えるし全ての事象には意味があるとも言えるw
ゲップ云々ってのはとりあえず現代音楽史上での論争でも参考にしてください。
芸術とは何かみたいな話でそれこそ議論されつくしてるしその議論を産むことが芸術の一つの意味とされている。
3がよく意味がわからないんだけど、おれ自身の感情や行動がどうかって話はどうでもよくて、
「その主張が成り立つか否か」って話でしょ?そりゃ「論理的に成り立つ」ってだけの話なんだが...
論理相対主義??主張が等価???
>その主張が人類60億対一人で反対されても、
>世界中の音楽史家が理路整然と反論しても、双方の主張は等価だ、と
結局君の書いてる「客観的基準」とは多数決のこととしか読めないんだけど...何度も言うがそれで「客観的」とはならないよ。 まあ「常識」の範囲内で、『そんな主張したら「気が狂ってる!」って言われる』って意味でならそうだよw
世の中の大多数の人は「科学的な正しさ」なんてたいして興味はないでしょうし。 ああ一行目、二行目にも
>君はやっぱり万人の基準で馬鹿だと思うよw
>その理屈を人前で開陳してみ。阿呆と思われるのは確実に君だ。
とあるな。
やっぱり「世の中の大多数の人がそう思っているであろうこと」を君は「客観的基準」であり「正しい」と言ってる訳だ。
「世の中の大多数の人が正しいと思おうが間違ってる」ことも、「世の中の大多数の人が間違ってると思おうが正しい」ことも
この世にはあるわけなんだが、まあその辺は理解してくれないだろうなw 文系でも「文学とは何か」の文芸批評家イーグルトンや「西洋美術の歴史」の美術史家ジャンセンは
文学や美術を評価する客観的基準は存在しない、もしくは少なくとも未だ発見されてはいないと言ってたな。 「存在しない」とは確かに言い切れないよね。科学は否定が苦手だから。 小津よりもジャンルは違うけどフォークナーの方がブレッソンに近いと思う奴いる? タルコフスキーはブレッソンが映画史上一位の監督だと主張している
ttp://homepage.mac.com/satokk/topten.html
小津にはダメ出しw >>252
オマエにはブレッソンについて語って欲しくない
もちろん小津もタルコフスキーも、だ どこから小津が出てきたんだ。好きすぎだろお前。
田舎司祭の日記選ぶとかセンス悪すぎ所詮樽子だな。 この程度の奴>>254にもブレッソンについて語って欲しくない >>251
アメリカっぽさw
そういう事じゃねーだろ!
おまえって馬鹿なんだな 映画に興味ない奴にいきなりラルジャン見せたらかなり興奮してたよ。
こういうのもっとないんですか?と詰め寄られたね。
見どころのある奴だね。
自称小津ファンwとかに強制的に見せてやりたいわ >>259
いい加減、このスレから消えてくんないかな
別スレ立てて、オマエと小津厨はそっちにこもってろよ なんでブレッソンと小津を比べたがるのかわからんな
過去にも現在にも日本の映画監督でブレッソンと比較できる監督なんていないだろ 誰も知らないのにスレ主の自演ageが延々と続くのには うんざり ていうか小津とブレッソン比べてる奴なんてこのスレにいないじゃん
実態不明な小津ファンとやらを叩き続ける変な奴がいるだけで 藁人形叩きは便利だから
まあ「ブレッソンについて語って欲しくない」とか言ってる奴も同じ穴の狢だけど
ネットなんか見ない方が精神衛生上いいと思うぞ >>265-266
そういうレスしか出来ない奴はもうここに来なくていいよ ブレッソンと小津は現に比較されがちな監督だよ
bresson ozu でググってみ その理由は、蓮實が小馬鹿にしていたtranscendental style in film:の三題噺が原因
ポール・シュレイダー『聖なる映画―小津/ブレッソン/ドライヤー』 世間一般でブレッソンと小津が比較されていても、それをこのスレに持ち込む必要はないじゃん お前のマイルールなんか知るかボケ。
自治厨に持ち込むなとか書き込むなとか言われても従う必要ないわな。 そうやって一見比較したくなるというところに害が有るんだよ
だから勘違いして同格とか言い出す輩が出てくる スレ外でよく比較されてることは、何の脈絡もなく小津の名前出して
ブレッソンアンチとか決めつける意味不明な行為の説明にはならないだろ ポール・シュレイダーは映画界で実績あるからな
なるだろ
映画が分かる人間が、本当に小津とブレッソンを見ていたら
主題的にも手法的にも比較の対象にするような共通点があるわけではないことは
明白だが、それでもここで小津を引き合いに出したければ
そいつの勝手だとは思う。
問題は、どっちが格上か?の類の頭が悪すぎるネタふりしかできないバカが
レスすることだろ
つまり、バカは何やってもダメだ >映画が分かる人間が
つまり、ご自分の事ですね(苦笑)
一体何が明白なんだか。ご著書でもあったら是非に拝読したいですな(笑) うゎー凄く知性溢れるご返答。
さすがですねー。ところでご著書マダー?w あれれー、ご高説を伺いたいんだけどご著書はー?
ポール・シュレイダーなんかメじゃないお方なんですよねー?w
まさか実社会の誰にも相手にされないネット評論家じゃないですよねーw あ、やっぱりこのバカが、小津とブレッソンの格付けしてたバカかww
語るに落ちたなww バカはバカは何やってもダメ ID変えてもバレバレ w ブレッソンと小津を比較したくなるのは割に理解できる。問題は、能力と格の厳然たる違いであって 馬鹿なのはしょうがないと思うが、
いい加減「能力w」とか「格w」とか、
少年漫画みたいな基準出して何か言った気になるのやめて欲しい。
ブレッソンファン馬鹿ばっかりじゃん。
>>284をブレッソンの理解者と思うのはやめてくれ
一緒にされたくない 能力も格も普通の日本語だと思うが、池沼の人だったのかw
ブレッソンとイーライ・ロスの間には能力と格の差がある。違うか?
それと同じことだよw こいつには何言っても無駄だなw
透明あぼーん推奨のこのスレの癌、ただいまのID>>ID:vMMLsxXJ 完全敗北宣言ですなw
だったら初めから言いがかりとかつけなければいいのにww
透明あぼーん推奨のこのスレの癌、ただいまのID>>ID:vMMLsxXJ = >>ID:vMMLsxXJ 二度も書かないでも良いよ。何の意味があるん?(苦笑) オリコン一位と著名評論家や映画史家の一致した意見としての一位は
普通違う意味合いだと思うけど? ブレッソンは後者に歴代一位と評価されてる なるほど君には>>234-248あたりの会話がまったく理解出来なかったと。
でその「ブレッソンが後者に歴代一位と評価されてる」ランキングはどこでみれんの? 俺の中で不動の一位であることに変わりないが、
>ブレッソンは後者に歴代一位と評価されてる
こんなランキングみたことない
持ち上げたいがあまり嘘ついちゃいかん >著名評論家や映画史家の一致した意見としての一位
ってそもそも意見が一致してるんならランキングもいらねえじゃねえかw
なんだよ「一致した意見としての一位」ってw日本語使ってくれ 小津ファンは相変わらずレベルが低いな 結局作った映画については語れないわけねw
ブレッソンの映画史上至高の地位は雑魚監督のファンが泣きながらアンチ行為しても一切変わりませんからww オマエがレスすると、ブレッソンを敬愛する者のレベルが落ちるから
レスしないでくれるかな じゃぁちゃんと小津ファンが叩いてるときに反論しろよ 以前、格付けバカを散々叩いてやったが、その結果
バカは相手にする価値なし、と分かった あれで叩いたとか思ってるのw?
泣いて逃げたのはお前ら小津ファンだろww あぁ〜キチガイから小津ファン認定されちゃった
いや、小津ファンではあるけれど、このスレに粘着している奴とは違うよ
つーか、私が以前に叩いてやったクズって、オマエ>>ID:VKk+NvW9 か
もっと早く気付くべきだったな
もう一度繰り返そう
>>ID:VKk+NvW9
↑
オマエがレスすると、ブレッソンを敬愛する者のレベルが落ちるから
レスしないでくれるかな 同じことばかり繰り返すとは老人性痴呆かよw
ま、そんな老害頭だからカビの生えた小津如きを崇めてるんだろうけどな あっ そうか キチガイはあぼーんすればいいんだ
あぼーん登録&透明あぼーん推奨ID
>>ID:VKk+NvW9 >>1 にある、モーツァルトやドストエフスキーに比べるのはいくらなんでも
不適当なんでないか。ひいきの引き倒しというか いいんじゃね?
あくまで「フランス映画の中で」の相対的地位を語ってるだけで、
モーツァルト級の人類史的な偉人だと言ってるわけじゃないしさ なんつかちょっとカコ悪い比喩だと思うんだよね。夜郎自大っつか。
司馬遼がしょっちゅうやるけど。高杉晋作は日本のナポレオンだ、とかそういうの そんな極私的感想を頂いてもな。そうですか、合わなかったんですね、
としか答えようがない。 そう思うなら粘着なんてせんで他のもっと面白い監督のスレ行けよ。
排泄物にたかるハエかよお前は