最も重要なシーンとなる戴冠式では、不自由な状況で撮影せざるを得なくなった。そこで、撮影者の体とキャメラを結びつけて
振動を軽減させるステディカムを用いて撮られることになり、照明は中庭から室内に向けて当てることで問題をクリアして戴冠式のシーンを撮影することになった。
その点に留意して見直すと、一見すると固定画面に見える儀式が、微妙にキャメラが動いて人物をフォローし、
逆にステディカムの流麗な動きを活用して自在な動きを見せていることに気付くはずだ。
式典に退屈した幼児の溥儀が、王座を降りて外に出ていこうとする。この時、外と太和殿が薄い幕で仕切られている。この幕を溥儀が触ると風で舞い上がり、外の光景が目に入る。そこには遥か先まで人々が、この幼児に跪いており、
皇帝の権力を実感させる。おそらく、ハリウッド映画ならば数日にわたって撮影が行われたであろうシーンだが、2500人のエキストラを動員するだけに、わずか1日で撮りきらねばならなかった。
午前2時から準備を始め、午前8時に撮影開始。キャメラは1台だけで撮っているので、各方向からとりあえず撮っておいて、編集でまとめるというやり方はできない。
それにベルトルッチは一つのシーンを頭から順番に撮っていくスタイルである。逆に言えば、突発的なアイデアを取り入れることもできた。実際、日没が近くなり、もうこれ以上撮ることもできないだろうという瞬間、ベルトルッチは反対側からのロングショット――
つまり、前述した手前に人々が跪き、奥に太和殿がそびえ立つカットを撮ると言い出した。既に太陽は隠れており、朝から撮っていた画との繋がりからすれば不自然になる可能性もあったが、
どうにかなるだろうと撮ることにした。それが、本作のスペクタルを象徴する名カットになった。もし、この時ベルトルッチが、反対側からも撮ると言い出さなかったら、日没時間に間に合わなければ、このカットは存在しなかったのだ。