●アマデウス●
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25年前の作品なのに今見ても色褪せない素晴らしい作品。 何でないのか不思議で立てました。 >>97 自分も好きですよ。 >>96 見て思い出したな?w >>90 そうだよね。元がイギリスの戯曲だからモーツァルトが英語喋ってても全然違和感覚えない。 端っから、ピーター・シェーファーが書いた「アマデウス」って戯曲の登場人物としての'モ ーツァルト'って思って観てるからなんだろうけど。 三ツ矢雄二だっけ? Wikipwdia見たら思いっきり書いてあるなw >>106 お前は何を見たんだ。 というかなんて読むんだそれw 最近見たけど84年公開だったのか もうちょっと最近の映画かと思った 三ツ矢&日下で吹き替えDVD出してくれよ… すげえいいのに 童顔なのに垂れ乳デカ乳輪の妻と、馬面モーツァルトは見ててムカつくから作り直して欲しいわ サリエリはそのままでいいけど >>112 あのね・・・デカ乳輪なんてどうでも良くないか >>112 婚前から、モーツァルトが乳吸ってたという伏線があるじゃないか、ちゃんとw 初心者ですいません。 この映画のDVDは何パターンあるんですか? 名作らしいから今日から見始めた アマデウスってモーツアルトの事なんだな。 >>128 ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト アマデウスはミドルネームです。ちなみにアマデウスには「神に愛される」という意味があるそうです。 この映画の主演はあくまでもサリエリで、サリエリを演じたF.マーリー・エイブラハムはアカデミー主演男優賞に輝きました。 彼は「薔薇の名前」で異端審問官ベルナール・ギーを演じています。この映画も面白いから機会があったら観てみて下さいね。 1/3位見た 忠実に作ってあるのか歴史に詳しくない俺にはわからんけど雰囲気は出てるな。 約30年前の作品なのに舞台のセットよく出来てるなぁ、外国版の時代劇みたいなもんか。 モーツアルトの天才で変態っぷりに噴いた、笑い方とかこんな人だったのか。 サリエリさんの胃に穴が開きそうなのがよくわかるわ、こっちに感情移入しちゃうね。 昔の芸術家は清貧なイメージがあったけどモーツアルトは全くの逆なのかねぇ。 >>130 サリエリの役者って名の知れた人なんですか。 洋画は有名なタイトルを探して見てて、役者は気にした事が無かったから新鮮です。 オススメ作品を教えてくれてありがとう。 回想から戻る時のサリエリのドヤ顔と呆れる神父の顔が一々面白かったw モーツァルトの言動を神のそれと見立てて打ちのめされてるんだな けいおんの同人がラストのサリエリをパロってたの思い出した 見終わった 無茶苦茶面白かった あまりにも面白かったから最初の方を見直しちゃったよ。 神父に自分の曲の知名度の低さを思い知らされたサリエリの気持ちがよくわかる。 もしも神父が曲を知ってたらサリエリもちったぁ救われたのに。 にしてもサリエリが自殺した時の使用人達のクリーム舐めて小馬鹿にした態度は何なんだ。 ボケ老人だとでも思われてたのかな。 ただモーツァルトの遺体がゴミのように捨てられたり後味悪いな。 そんなに彼は世間から疎まれてたのか。 後、モーツァルトの奥さんのオパーイ晒して辱める仕打ちはしない方が良かったな。 その方が生真面目なサリエリらしいし。 おかげで最後の共同作曲して仲直りしたシーンで感動してたのに 奥さんの登場で一気に冷めちゃったよ。 遺族にも嫌われてたらそりゃサリエリも後悔したくなるわ。 才能への嫉妬とか好きなジャンルだから楽しかったわ マリーアントワネットとかベル薔薇の時代の雰囲気も好きだし。 >>132 律ちゃんのやつか。 しかし律ちゃんはドラムでギターの唯と畑が違うからこれほど説得力があるのか疑問あるな。 今度見返してみるか。 モーツァルトにとっては和解かも知れないが サリエリにとっては、作曲を手伝うことによって天才の作曲プロセスを垣間見る絶好のチャンス だっただけでは? 音楽にすべてを捧げてきたサリエリには、なんの苦もなくすごい曲を作るモーツァルトに 共同作業を通じて驚嘆することはあれど決して本心から仲良くは出来ないと思う すごく面白いけどどこか俗っぽい感じのする映画だね モーツァルトがそうだった、というより脚本全体がそんな感じだった >>135 陥れたいと心から願ってたモーツァルトが本心から和解を持ちかけたから サリエリはその事が心に引っかかって自殺するほど生涯引きずったんだろ。 それはそれで良い話じゃないか。 作曲プロセスなんか見てもそれが作曲家人生に役に立つかどうかわからないと思うな。 現にサリエリはモーツァルトのパクリって言われてる訳じゃないしモーツァルトを超える事は無かったんだし。 先生なら生徒に教える事もできるけど、それは音楽の発展としてはプラスな事だろ。 別にパクりたかったとかじゃなくて、あくまで神に愛された作曲家の曲の作り方を見たかったんじゃないか って思っただけだよ 圧倒的すぎて、何かを学ぶとかそんなレベルの違いじゃなかったんじゃないかな 崇拝と憎悪と羨望と嫉妬が入り混じってると思った >>134 イギリスの時代小説を読んでいたら、19世紀初頭だけど 死体の埋葬は至って淡々としたものだったよ。 布袋に詰めて縛って、穴にドスンと落として石灰を振り掛けるだけ。 遺骨まで大事にする日本とは、感覚が違うんだと思う。 >>135-137 コンスタンツェが持参したモーツァルト直筆譜面を見て、 修正跡が無いことに驚愕していたよね。 その場面からでも、ふたりの才能の違いが、観客には明白だった。 実際モーツァルトって曲をあれこれいじったりしなかったんだろうか 現代で音楽作ってる人でそんな人はいない気がするんだが >>138 庶民やそれに一本ケが生えた程度の社会的地位の人 の埋葬はそんなもんだったらしいね 日曜洋画劇場で観た後、サントリーの「モーツァルトと サリエリ展」で買った本にも当時は普通だった、 みたいに書いてあった記憶がある 日本も当時はそれにケが生えた程度だったらしい。 欧米で墓参りの習慣が一般化したのは19世紀からのことで、 モーツァルトが亡くなった頃は酷くも何ともない、 ごく普通の埋葬だったそうな←19世紀から大騒ぎ。 レクイエムの作曲をサリエリが手伝うのは、 「モーちゃんにレクイエム作曲させてから殺し、横取りしたそのレクイエムを俺の作品ということにして 奴の葬式で演奏してやる」という彼の、神への復讐計画がモーが倒れたことで危うくなったから。 下手するとモーがレクイエム完成前に死んじまう(=自分の計画がオジャンになる)と思ったサリエリは、 だから表面は優しい態度をとりつつ(だが内心あせりつつ)モーツァルトを手伝ってレクイエムの完成を急がせる。 その過程でモーの才能にあらためて魅せられ、職業柄当初の目的を忘れて共同作業そのものに 熱中したりもするが、あくまでその目的はモーにレクイエムを完成させ、それを横取りし、最終的には 彼を殺す(その手段はまだ考えていなかったが)というところにあった。 ところがサリエリが当初恐れたとおり、無理がたたってかモーは作曲途中で逝ってしまう。 モー作曲のレクイエムは永遠に手に入らなくなった。 しかも途中まで作曲したその楽譜さえ、モーの奥さんに封印されてしまう。 かくして神への復讐劇は頓挫した。 サリエリがっくり。 ・・・という理解でOK? 本人のためのレクイエムにしてやったとか何とか言ってなかったっけ 横取りするなんて言ってた? サリエリはモーツァルトの才能を嫉妬・羨望こそすれ 作品を剽窃するのは同じ作曲家としてプライドが許さないと思うんだが >>144 言ってたじゃんw えええ釣りですか これはちょっとひどい あの映画の何を観てたのと言いたい いやあ心底たまげた驚いた 釣りだよね? サリエリが仮面かぶってモーにレクイエム依頼したのは何のためだと思ってたの? その場面の前にサリエリが自分の企みを神父に説明してるシーンがちゃんとあるよ あの場面をどう受け取ってたの? ・・ああごめん、まさかこんなスレが返ってくるとは思わなかったんで三連投しちゃった 失礼 あ、その場面の後だったかもしれん たぶん後だ とにかくサリエリは自分の企みをちゃんと説明してるよ >>148 お前も結構アバウトだろw まあ言ってたのかもしれんが、実際横取りなんかしたところで何も満たされるとは思えないな 凡才なのは変わらないんだし サリエリ作曲の何かのオペラの序曲を聴いたことがあるけど、 この映画から受けた印象とは違って、ちっとも凡庸じゃない キラキラした曲だったよ。 …まあそうでなければ、自分なんかが21世紀にもなって 耳にすることもなかったんだろうけど。 >>149 おおお・・・・・ 釣りじゃなかったのか・・・・・・・・・ >>150 サリエリの実像がどうなのかは関係ないと思う あくまで「アマデウス」作中人物のサリエリは世間知に長けてる凡才として 描かれてるんだから まあ素人から見れば「あなたも素晴らしい作曲家じゃありませんか、サリエリさん!」 と言いたい所だけど、真面目で潔癖で常に完璧さを求め禁欲的な努力を怠らず、 人並み優れた審美眼を身に着けていたサリエリにすれば (他人には分からないかもしれないが、自分にはありありと分かる) 自分の作品の凡庸さが耐え難かったんだろうな。 或る意味、真面目な努力家の悲劇。 羨望と嫉妬の入り混じった心理は むしろあるあるネタと言えよう >>144 >サリエリはモーツァルトの才能を嫉妬・羨望こそすれ 作品を剽窃するのは同じ作曲家としてプライドが許さないと思うんだが その作曲家としてのプライドが木っ端微塵に砕け散るところからこの話は始まるのよ 最近見返したけど、やっぱり人を惹きつける圧倒的な演出が素晴らしい映画だよな。 後半のモーツアルトとサリエリの作曲シーンは素晴らしすぎる。 ところで基本的には英語で喋ってるんだけど、「シニョーレ」なんて言葉も使って、 英語圏の人は違和感はなかったのだろうか? あの映画の主役はあくまでもサリエリだからね。サリエリを演じたF.マーリー・エイブラハムはこの映画でアカデミー主演男優賞を受賞してる。 ラストのサリエリの独白シーン (YouTube) http://www.youtube.com/watch?v=LCQjrW0ofRE&sns=em 意訳 「神はモーツァルトを死なせ私を生かし、そうして私を罰した。32年間も、私を生かし続け、私の音楽が忘れ去られるのを見続けさせるという拷問を課した。 神父さん、世の中の平凡な人達、私はあなた方の代表、守護聖人。 全ての平凡な者よ、私が許す。私が許す。私が許す」 サリエリは神に復讐したかったんでモーツァルトにではない (結局失敗しちゃうわけだけど) ここがキモ 相手にしてるのは神なんだ あるいはビョーク 年老いたサリエリがどこかひょうひょうとして見えるのは何故だろう 神の意思は善悪を越えた強大無比な物である事に対する達観かな? 画像がサリエリが送り込んだメイドになってるよ コンスタンツェって世界三大悪妻って言われてるのか この映画だとそれを否定する作りになってるけど >>168 神父に全て話したんでとりあえずサッパリしたんだろ 何十年も溜まってたでかいウンコがやっと出た気分 サリエリやった人はAC賞取ったけど、その後が自らの栄光のパロディで シュワに「お前をモーツアルトを殺した男と子供が言ってるぞ」 「モー・・・ホワット?」と受けたりと、なんか冴えなかったなあ・・ >>175 「薔薇の名前」と「虚栄のかがり火」がよかった。 >>174 アマデウスでもファンハウスでも胸をはだけてたが 顔は童顔で幼い印象なのにオッパイは逆に熟れ熟れタワワなとこの落差がエロい女優さんだったなあ(*^.^*) 垂れすぎじゃないか?ほとんどオバアチャンだろあれw オバアチャンは言い過ぎにしても熟女の乳房ではあったな 子持ち熟女好きの俺にはストライクど真ん中のオッパイでした >>154 ある意味サリエリが一番の理解者なんだよね、モーツァルトの。あの皇帝とか 「音が多すぎ」とか言ってた人とかは才能を嫉妬するレベルにさえ達してないw TV局もしょーもない邦画やアクション系洋画ばかりでなく 地上波でこういう作品頻繁にやればモーツァルトとか クラシック音楽に関心持つ人増えるのにね 視聴方法がレンタルやCSと多様化した分 古い作品敬遠しちゃう傾向あるからね 公開されてから30年、ずっと観たいと思っていて最近初見w すごく良かった!! こういう作品もっと地上波でやればいいのにってほんと思います。 セックスアンドザシティの人が出てて感慨深かった。今一線で活躍してるの彼女くらい? エンディングシーン (YouTube) http://www.youtube.com/watch?v=LCQjrW0ofRE& ;sns=em (省訳) 「神はモーツァルトを殺し私を生かし、そうして32年間、自分の音楽を人々が忘れていくのを見続けさせるという拷問を私に課した。 しかし彼の音楽は…」 (ここでモーツァルトピアノ協奏曲第20番ニ短調第2楽章が流れ始める) 「神父さん、私はこの世の平凡な人々の代表、守護聖人。 全ての平凡なる者よ、私が許す。私が許す。私が許す。」 いったいあんたが何を「許す」ってんだ? 自分は「代表」であり「守護聖人」であるって思ってるってことは 自分をただの「凡人」とは思ってないってことだな 選ばれし「凡人」であり、「凡人」の上に立つ「凡人」であると思ってる モーツァルトに出会うまで自分こそ「神に愛されし者」だと思い続けてきた時の癖が まだ抜けてないな >>189 確かにそうですね。 まあでも、ラストを印象的な物にするための演出上の工夫と考えたら良いのでは。 とはいえ、仰る通りですね。 私も凡庸なるおまいらの側の人間だ おまいらのことはよく解っている おまいらの代弁者となろう 凡庸であることを気に病むことはない 私がそれを受け止めよう くらいに好意的に解釈してみる absolveってのはキリスト教的な「赦す」だよね。 戯曲のほうは"you can pray me, and I forgive you"だけど、映画では変えたんだね。 サリエリは自分が神に許されなかった、と思ったわけでしょ。 でも凡庸で悩み苦しむ人たちにだって許される権利がある、と思ったんじゃないの。 だから神は許さないかもしれないけれど、代わりに自分が許そうと言ったのでは。 サリエリの懺悔を聞いて許しを与えるために来た神父に向かって 自分は許される側じゃなくて許す側なんだよ、と嘲ったという解釈もありうるかもしれないけど。 >>192 >サリエリは自分が神に許されなかった、と思ったわけでしょ んー、そうなの? 神に本当は愛されてなかった、弄ばれてた、と思ったんじゃないの? だからこそ神に対する復讐戦を企てた。 「許されてなかった」って、具体的にどういうことなのかな? ごめん、「許されなかった」だったね。 つまり、神はサリエリの復讐戦を許さなかった(そういう企てを試みたことを許さなかった) ってことなのかな? >神はモーツァルトを殺し私を生かし、そうして32年間、自分の音楽を人々が忘れていくのを見続けさせるという拷問を私に課した。 この部分です。 神は彼にとって最も辛い拷問を与えた、という意味で つまりサリエリは神に許されなかったと思っていたんじゃないかなと思ったんだ。 ただその許されなかったのが何に対してかというと、自分もちょっと曖昧で 神に復讐しようとしたことに対してかもしれないし、もしかすると凡庸であるがゆえに犯した罪(嫉妬とか)を神に許されなかったということかもしれないし。 言葉にしてみると難しいですねw つか途中で十字架を火にくべてなかったっけ 既に「神」とは決別していたわけだろう 苦痛の余生はその延長にある キリスト教は簡単に言うと神との「契約」なわけだが こちとら童貞も守って真面目に努めてきたのに なんだアイツは不公平ではないかと サリエリはいわば「契約不履行」なりを訴えたわけだ そっちがそのつもりならこっちにも考えがある と十字架をくべ契約を破棄(コンスタンツェを食おうとしたのもしれか?)し 「神の依怙贔屓」であるモーツァルトを 回りくどいやり方で葬るわけだろう 一方で「神の与え給うた才能」に魅せられながら・・・ だから最早サリエリは神に遠慮する必要もないのだから 神ならぬ身で凡庸なる人々を「赦す」ことも何ら問題ない 「神はかように不公平だがそれを身をもって知る私は貴方方の味方だ」 という立場にあるのだと解釈する >既に「神」とは決別していたわけだろう 単に言葉の問題なんだけど、「神との決別」って言ってしまうと、 こんな世界に神などいるわけないつって、神の存在自体を否定する意味になるんじゃ? 十字架を焼いて、じゃあ神を捨てた(無神論者になった)のかと言えば そんなことはまったくなく、俺とお前は敵同士つって相変わらず「神」を相手にし続ける。 unjust、unfair、unkindって恨み言を並べても、神の存在自体には決して疑問を持たない。 これは「神との決別」というより、「神への敵対」なんじゃなかろうか? かくもサリエリにとってキリスト教の縛りは絶対的なものだった。 まあ彼に限らず、当時の西欧人全般にとってそうだったんだろうね。 で、そう考えると、ラストのサリエリの言動にも、 自分を天から見下ろしているだろう無慈悲な神に対するパフォーマンスって意味合いが 多分にあるんだろうと思えてくる。 > こんな世界に神などいるわけないつって、神の存在自体を否定する意味になるんじゃ? そうと言えばそうだろうが飛躍があるな 神という概念そのものと決別するとは限らない 信仰と慈悲という契約関係の破棄だろ > 自分を天から見下ろしているだろう無慈悲な神に対するパフォーマンスって意味合いが 神を差し置いて「赦す」 >神という概念そのものと決別するとは限らない 「決別」ってのは「いとまごいをして別れること。また、きっぱりと別れること」なんだそうだから その後も神を相手にしてるんなら、「きっぱりと別れ」たことにはならないんじゃないか、 ゆえに「決別」したという表現は不適切ではなかろうかっていう「言葉の使い方」の問題です。 >信仰と慈悲という契約関係の破棄だろ キリスト教(この場合カトリック・・・かな)における契約関係ってのは 神と個々人が一対一の関係において、それぞれの条件に基づいて決めるものなのか? 違うんじゃないでしょうか? 映画の冒頭でサリエリが「自分を有名な音楽家にしてください。その代わり私は・・・」って 神に祈る場面があるけど、あれはキリスト教でいう「契約」とはあまり関係がないのでは? >神を差し置いて「赦す」 神を常に意識してる(らしい)サリエリが「神を差し置く」ことは出来ないんじゃないだろうか? というか「差し置く」って行為自体が神を意識してることを前提にしてるのでは? その意味での「神に対するパフォーマンス」。 >>188 を書いた者ですが、独白の最初の部分を書かなかったのは、単に聞き取れなかったからなんですが、 あの冒頭の部分は日本語で言うと、なんと言ってるんですか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる