筆者がタランティーノの才能の確かさを目の前に突きつけられたのは、次のシークェンスである。

まんまと仲間のひとりとしてもぐり込んだイヌが、即ち刑事が、スパイとしての訓練を回想するくだりで、
タランティーノは、その男が上司の黒人の刑事の前でヤクザなジョークを必死になって習得する様を描いてみせるばかりか、
その男が強盗団の仲間入りを果たす場で同じジョークを繰り返していくうちに、何と〈回想〉という〈過去〉の時制の中に重なる過去、
即ち〈大過去〉が侵入してくるのである。
作り話の中に入り込んでしまったその男は公衆便所の中で、獰猛な犬を連れた警官たちに取り囲まれるだけではなく、
警官のひとりがその男のジョークをそのまま、引き継いでしまうのを目の当たりにして、彼はドライヤーに手を伸ばす。
その誇張されたノイズが否応なく、あのコーエン兄弟の『バートン・フィンク』を想起させる事に気づくまでもなく、
その時点で『レザボア・ドッグス』はサイコ・リアリティの深みへと、一瞬ながら突き刺さっていくのである。

(今野雄二)



そうだったっけ?