【ジンネマン】ジャッカルの日【フォーサイス】II
監督 フレッド・ジンネマン (「わが命つきるとも」「ジュリア」)
製作 ジョン・ウルフ
原作 フレデリック・フォーサイス (「オデッサ・ファイル」「戦争の犬たち」)
脚本 ケネス・ロス (「ブラザー・サン シスター・ムーン」「ブラック・サンデー」)
撮影 ジャン・トゥルニエ (「大列車作戦」「天才悪魔フー・マンチュー」)
編集 ラルフ・ケンプレン (「アフリカの女王」「チップス先生さようなら」)
音楽 ジョルジュ・ドルリュー (「突然炎のごとく」「プラトーン」)
ジャッカル エドワード・フォックス (「デュエリスト/決闘者」「ガンジー」)
ルベル警視 ミシェル・ロンズデール (「エレンディラ」「薔薇の名前」)
ゴッチ(銃工) シリル・キューザック (「死刑台のメロディ」「マイ・レフトフット」)
ドニーズ オルガ・ジョルジュ=ビコ (「いつも2人で」「さよならエマニエル夫人」)
マダム・モンペリエ デルフィーヌ・セイリグ (「夜霧の恋人たち」「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」)
大臣 アラン・バデル (「ナバロンの嵐」「ニジンスキー」)
トーマス部長 トニー・ブリットン (「二人だけの白い雪」「夜をみつめて」)
ロダン大佐 エリック・ポーター (「女が愛情に渇くとき」「アントニーとクレオパトラ」) 緊張感が売りの映画なのに
最後撃たれて吹っ飛ぶシーンでわろてしまう 「撃たれて吹っ飛ぶ」というのを「おかしい」と思うか「おかしくない」と思うかの違いだろうな。
拳銃で撃ったことも撃たれたこともないが、シロウトの感想としては、窓際にいるのを部屋の入り口から撃たれたんだから、
まあ至近距離と言っていいと思うし、吹っ飛ぶのが特に「おかしな演出」とは思わなかった。
貫通力の大きい小口径の高速弾とかじゃなけりゃ、実際に吹っ飛ぶんじゃないかな。 そっちより一瞬で倒れて動かなくなる警官(フィリップ・レオタール)のほうがなんか気になるw 警官が死にぎわの痙攣で短機関銃を両手で硬く握りしめていれば
ルベルはスッタモンダやってる所へ
ジャッカルの次弾か空手チョップで御陀仏になるところだったのに。 >>420
どっちにしたって絶対に逃げ切れないよ。
あのシーン、翻弄され取り逃がし続けた相手を
間一髪のところで仕留めた、て瞬間だからね
バン!ばったり・・・だけじゃ物足りないし、
俺は(俺は、だよ)まぁ気に入ってるんだけど
こんなの主観だからしゃぁないわな。 いや、みんな、あのジャッカルの最後のシーンでいろんな事想像すんのね。
自分は最初に見たときは、あまりに一瞬のシーンだったから感想も何も抱く前に
エンディングに入っちゃった、としか思えなかったよ。でもそれがいいんだけどさ。
昨今のハリウッド映画なら、あそこから警備の警官とか兵士とか相手に格闘戦とか
大カーチェイスとかのシーンが入りそうだけどね。 この前、古本屋で赤い表紙の旧角川文庫版見かけたのですが、
背表紙は黄色でした。
記憶の中では、背表紙も赤かったと思っていたんですが・・・ エンディングの音楽は、Ganne作曲のロレーヌ行進曲の中間部だよね。
30〜40年前の民放ラジオのプロ野球中継の終わり(提供企業の紹介)
にも使われてた。 水銀弾とはいえあっさりしすぎな警官の死に方とか、ジャッカルの吹っ飛び方とかは
確かに今見ると変だよ。
銃弾は肉を引きちぎって飛ぶわけだから人体をぼろ雑巾にしても、吹っ飛ばすのはおかしい。
でも少しぐらい変でもいいじゃないか。
ジンネマンは戦艦ポチョムキンをリアルタイムで見た人、クラシック時代の生き残りだよ。
ハワード・ホークスが時流とこれまで好き勝手やってきたせいで映画を撮らせてすら
もらえなかった時代にこれだけの映画を作ったんだよ。
今の時代でいえばシドニー・ルメットのアクション演出がなってないとケチをつける
ようなもので、それは野暮ってものじゃないか。 原作では9mm弾が胸部に何発も命中して吹き飛んだことになってる。
リアリティ重視のフォーサイスが出鱈目を書くとは思えない。 >>426
from 原作
> マガジンに半分ほど残っていた九ミリ弾が、ジャッカルの胸にたたき込まれた。彼のからだは空中に
> 飛び上がって半回転し、部屋の隅にボロ屑のようにたたきつけられた。
映画だとジャッカルは半回転してないけど、それ以外はほぼ原作通りかも。
MAT49カービンのマガジンって32発だったっけ? だとすると半分近くとすると
15〜16発をジャッカルは浴びてるから、あれだけぶっ飛ばされてもおかしく
ないかもね。
しかし上記のシーンは原作の終わる4ページ前(内容からいうと3ページもないけど)
だから映画も原作も本当にあっという間に終わってるなぁ。まぁそれがいいんだけど。