【賛否両論】ロッキー5【見直そう!】
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4のスタローンブームから
入った比較的新しいファンには不評。
1からのオールドファンには結構評判のいい
この問題作について語りましょう! 終盤
一度倒れてしまうロッキーがミッキーのフラッシュバック
『立て!ミッキーが付いてる』
で立ち上がりあのテーマ曲
『ゴングは鳴ってねえぞ』
あそこでクソ燃える 1、2のドラマ性に感動した者としては
3はまだ許せたんですが、4には違和感を持ってしまった。
だから5で原点回帰を果たしてくれて
本当のロッキーが帰って来たと、感慨深かった。 こっちでいいだろ
↓
【イタリアの種馬】ロッキー3【エイドリアーン】
http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/kinema/1175617921/
ちなみに「ロッキー3」単品スレではない
ロッキースレ part3という意味ね
見事にレスが無いな。
それだけ見直したい奴が少ないってことか。
でもミッキ−が叱咤するシーンは最高。
その後のロー回し蹴りでまた いやん・・・だが [映画『ロッキー・ザ・ファイナル』を観た]
ttp://midnight-run.iza.ne.jp/blog/entry/152498/
愛郷心・・・。 いまさっきテレ朝でみたけど
それなりに面白かったよ 俺も終わり方と音楽以外は良かったと思う。
そこで質問なんだが終わり方はロッキーの銅像のバックで合ってんの?
あと4から5の間で息子が大きくなりすぎてるのは何故?
>>11
いの字くらいは出てる
つーか気になるなら自分で削除依頼出せタコ >11 vs >12
パッパパパパー パパパーパパパ♪ 俺は正直、1の次ぎに好きなのがロッキー5だった。
監督が一緒のせいかつ1に近いテイストだった。
個人的にはロッキーは奇数回が好き。
今録画してたの見たけど面白いじゃんかよ
3、4よりよっぽどいい 最後が、ストリートファイトなのがなあ・・・。
あれでちゃんと、リングで戦ってたら傑作だった予感。 俺が数年まえ初めて観たときは
生活は元の下流に逆戻り、場所もリングじゃなく汚い通りだけど
ロッキーの魂は健在、みたいなオチに悪い意味じゃなく衝撃うけたよ
まあ冷静に考えたら確かにボクサーがケンカはまずいけど 暇だった高校時代、何度も劇場へ足を運び
朝から晩まで観続けた映画(当時入れ替え制なし)
終盤のストリートファイトでロッキーが立ち上がるシーン。
通り過ぎる電車を追うようにロッキーの顔がフレームイン。
そしてあのファンファーレが高らかに…。
どの回もここで必ず会場内では失笑が(場合によっては爆笑も)。
でも、どの回もクレジット終了までに席を立つ人は少なかったな。 スタローンが「5?ありゃ〜失敗だった」とインタビューで答えてるのをみた。 結構5の存在すら知らなかった人も多かったみたい。
それだけ4のインパクトが強かったんでしょうね。
で、評判が悪いので見ないまま16年が過ぎ、ファイナルがやったのを機に見てみたら、
意外に「そんなに悪く無い」という、感じが多いのでは?
とにかく公開時の評判は散々だった。
俺にはどうしてもそれが信じられなかった。
当時も、今見ても、いい作品だと思う。 >>24 何回か見るとその素晴らしさに驚き、感動の涙を流す5も・・・・・
内容は陳腐だが派手な4、この4のアクション映画のつもりで5を初めて見た当時は・・・・・
地味で物足りなさを感じた。
4がマンガみたいに無茶苦茶で、無敵超人同士のボクシングがロッキーと思ってた人は、5でもまたリングではちゃめちゃなボクシングを期待していたんだと。
だから5のストリートファイトでの決着が4のつもりで見ていた人達をガッカリさせて
『なんだつまらない』
となったのだと思う。
結果、ストリートファイトでの決着で良かったのだが、1と4の位置付けが対極なのに・・・
全く真逆なのに1のスタイルを継承した5を、1への原点回帰の5を、アクション映画の4の後にやるもんだから当時多くの人が戸惑った。
1から好きだった人は4で離れ、4で好きになった人は5で離れてしまったという事になってしまったのだ。
1好きな人は5を弁護する事なく見ずにしていなくなってしまった。
4だけが好きな人達によって5は駄作との声だけが残ってしまったと考えられる。
スタ自身の『うまく出来なかった』発言もより一層【駄作説】に拍車をかけた。
>>16
だね、お馴染のトレーニングがあってリング上がってれば傑作だっだったよ。
ストーリーは原点回復で良かったし、全てはストリートファイトがいけなかった。 「奴(ロッキー)はリングの上で戦争した。」「立てこのノロマ野郎!ミッキーがついてるぞ!」最高 ロッキー家のクリスマスは楽しそうだ♪
サンタ登場で尋常でない程に喜ぶふりをするオーバーアクションのパパw
そつなくそのパパに無理矢理合わせるママw
無気力なシケたサンタと場をシラけさす息子とその友達www
鍛え上げた筋肉を見たかったな〜。
ボクシングルールならトミーが勝つ。
ノールールならロッキーに勝算あり。
つまりロッキーは自分に有利なストリートファイトを選んだってことか
5のロッキーはそこまで落ちてしまった ロッキー5は何故批判されたかは、ロッキーが一度もリングにあがってないからだと思う
当時、撮影まえから赤井英和主演の「どついたるねん」とおんなじないようでスタローンが内容をまねたんじゃないかと噂された。「どついたるねん」の内容は脳に障害があり引退したボクサーがジムをもち、弟子を教え、最後はボクサーに復帰して弟子とリングに戦って終わり
ロッキー5と違うのは最後、ストリートファイトで終わるとこだけ
>>29
同じ感じでロッキーバルボアでの若き無敵のチャンプが何故ブーイングだらけの不人気なのかが理解出来なかった。
自分では亀田みたいなもんだと言い聞かせて見てたけど、連続で早い回からのKO勝ちとかで明らかに亀田とは違うし、、、
八百を疑われてるからとか説明があった気がするけど、デビューから無敗で連続KO勝ちして何度も防衛して、相手がいない程のパーフェクトチャンプになってるのに八百もくそもねーだろ?
と感じた。そう思ったやついない? 一応トミーガンが嫌われてる理由は金と女に目が眩んで英雄ロッキーを裏切ったからじゃないかな。
そしてヘボな相手と戦って形だけのチャンピオンになったからではないかと。
あれほどロッキーを崇拝してたのにあっさりすぎる気がしたけど。
ドラゴは別としてクラバー、トミーガン、ディクソンはただ単にロッキーの
引き立て役でしかないのが悲しい 5があのストーリーなのは、スライの健康上の理由じゃないか。
ステロイドに身体がたえられなかったんだろう。
最近は成長ホルモン等の薬物や、サプリが発達したんで、再チャレンジしたんだろうな。 ファイナルで感動したので、この際だからと5を見たが・・・以外や以外、
そこそこの作品だよね・・・。25の言う通り、極端から極端に走りすぎたの
だろう。 俺も5は好き。むしろ一本調子の4より全然好きだ。
まあ、あまりの駄目親父ぶりや、マスコミの異常なほどのトミー叩きなど
突っ込みどころも多いけどね・・・
やはり最後のファイトでミッキーが出てくるだけでもう名作・・・(TωT) Jr.の学校で、アジア系のブーちゃんが出てきた時は館内爆笑だったな 結局トミーはどれくらいロッキー家に住んでたんだろうね?
トミーの快進撃の間は住んでいたっぽいから1年近く居たんだろうね。
その経過の描写を鮮明に描いてほしかったな。
シケたサンタのクリスマスでロッキーがJr.に「去年のクリスマスはあんなに喜んでいたじゃないか!?」と言うシーンがあるけど、単純に「ん‥去年のクリスマスはドラゴと死闘していてロッキーはロシアでJr.は自宅のTV前じゃ‥」と思った。
だからドラゴ戦は少なくともシケたサンタの2年前の設定になるよね?
‥って事は‥
Jr.が「よくも!僕の部屋を取ったな!」と言う気持ちわかるなぁ‥
だって2年以上もポーリーおじさんと一緒に寝てたらそりゃグレるってwww
あれはロッキーが悪いwww
Jr.‥ムゴスww なぜストリートファイトで終わったのか?
スタローンは「ロッキーをリングに上げない」ことに苦心したようです。
自身がロッキーと決別するため(ロッキーを終わらせる)には、リングにあげるわけにはいかない・・・
というインタビューを当時読みました。
かといって、アクションなしで終わるのも・・・って感じで
ストリートファイトという発想が出てきたと思われます。
そもそも当初はストリートファイトでロッキーが死ぬ案もあったようなので、
とにかくなんとかして完結させる方法を懸命に模索した結果でしょう。 結局、息子急成長とかの矛盾はなんらかの解釈で解決できるの? 出来んだろう。
4が5歳位で5は12歳位だろ。7年もロシアにいるはずもないし。 俺が聞いたのは本人が体作れなかった(ステロイドに耐えうる体じゃなかった)から裸を出さずに済むストリートファイトにしたのと
実生活でカミさんに離婚された(裏切られた?)のを理由に当て付けでトミーガンに裏切られるストーリーにしたと。
そんな私情&私怨がモロバレでみんな興ざめして当時の評価が最低だったと聞いたけど
>>42
ってことは、一応すぐに帰ってきたと明言するシーンはないんだね?サンクス
それだけで十分 >>41
出来ないよ、ただ息子使いたかっただけなんだから
だれの目にも作りの雑さが目に余った作品だった
ファイナルの七光りだけでは補えない駄作感が漂ってるよ 実はソ連からの帰国までに数年の時が過ぎている。
飛行機の中でタイムスリップしたとか? >>43
これはあまりに荒唐無稽・・・
いつどこで聞いたのですか???
セージの起用については、
子供が急にでかくなることくらい
ロッキーファンならご愛嬌でしょう。 その通り
違う子役なんだから年齢がどうとか言う場合ではない。
ミッキーとの回想シーンでトランクス姿のロッキーが出てくるけど、
4の時の彫刻のような体つきからは明らかに衰えてる。というかたるんでる。
まぁ4のビルドアップされた体が異常なんだろうけど 衰えた肉体を見せたくなかったんだろうな‥
それを思うと全てを晒け出したファイナルは凄い
等身大のスタローン=ロッキー
老いても出来る事がある!
あの頃みたいには出来ないけど、今の自分の力を全部出しきるだけだって事ですな
「5の設定は肉体が衰えて云々」説は
説得力があまりないように思えますね。
だって、60であの体作れたんですよー。
5の時点で体作ろうと思えばじゅうぶんやれたのでは?
確かにその後、「コップランド」のころに
増強剤やりすぎで体にガタがきて方向転換って話は聞きましたけどね。
それでも5から7年後の話ですからね。 5ってリングファイトだったらそれなりにマシな作品になってたんじゃない? >>53
レビューサイト見るとつまらない原因としてストリートファイトを
あげている人多いもんな
べつに大舞台のリングではなくミッキーのジムでいいから
グローブをつけて戦ってほしかったよ たとえロッキーがボコボコにやられたとしてもね
それでも立ち上がってくるロッキーを見てトミーガンが何かを感じてくれればそれでよかった
原点に戻るんだったら勝ち負けではなくリングに立ち続けることを見せてくれなきゃ >>54
> べつに大舞台のリングではなくミッキーのジムでいいから
> グローブをつけて戦ってほしかったよ たとえロッキーがボコボコにやられたとしてもね
なるほど。そのアイデア、まじでいいね。 5は突発的にストリートファイトになったから、ダラダラした時間が長かったんだよね。
リングに上がるまでの過程とかトレーニングシーンがあれば1のような原点回帰も可能だったでしょ。
あのキリストのリングとかでね リングに上がったら悪徳プロモータの思うツボだろ?
元々、ロッキーという映画はボクシング映画ではないし。
一人の男の人生を描いた映画。
その表現方法としての、いちボクサーであるだけ。
だから商売になるリングへ上げる魂胆で近づき、さらにトミーとの関係をブチ壊しにしたプロモータの思惑通りにリングで勝負したらどうなる?
しかもお互いヒートアップしたあの瞬間からジムのリングに移行したら興ざめ。
その場で決着つけるのが自然の流れで良いと思う
ロッキーの「ここがリングだ」のセリフも良いし。
>>55
ハゲドー。俺も>>54のアイデアはかなり良いと思う。
あの流れで復帰するってのはちょっと安易というかマンネリというか。。。
ミッキーのジムで静かに決着をつけてほしかった。 ロッキー1のいいところは勝つことが目的ではなく
最後まで立ち続けることだったからだよな
3と4はすでにチャンピオン・元チャンピオンという設定だったから
勝たなきゃ話にならないというのはわかるんだが5でも勝ちにこだわる
必要があったのかと疑問に思う しかもただのケンカだ
こんなのロッキーじゃない
ファイナルでは自分の力を出しつくし勝敗の結果も聞かずに満足そうにリングを立ち去る
これが本当のロッキーだよ >>60
まあpart5があったからこそファイナルがあるんだと思うよ。
あと>>58には同意。
5は異色作として見れば評価出来るよ。 やっぱり5はダメだよな・・・。
最後の喧嘩に勝ったところでさほど意味があるとも思えないし・・・。 いや、ストリートファイトで正解!
あれでリングに上がり、しかも勝ったりしたら不自然極まりない。
さらにどっちが勝とうが悪徳プロモーターは喜ぶという後味悪い作品になる。
金や名誉や栄光の為にリングへ上がって戦うのではない。
ひとりの男として父として、人間の尊厳を守る為、一度は失いかけた…なによりも大切な家族の絆を守る為、
大事な親友が目の前で傷付けられた敵と戦うべくして戦った。
ボクサーとして付随するあらゆる名誉の為ではなく、ひとりの男の本能で戦う必要があったんだよ。
「ここがリングだ、トミー」の一言がすべてを集約している。
あの場所でこそ、ストリートでこそ決着の場に相応しい。
例のミッキージムの前で、看板のミッキーが見守る中でロッキーは戦ったのだ。
「いつでも俺がついてるぞ」のミッキーが肩に降りて、打ちのめされていたロッキーはまた立ち上がる事ができた。
家族、ストリートの仲間達、そしてミッキーに見守られながら損得の為でなく男の誇りの為に戦った。
素晴らしい演出だよ。
リングに上がって勝ったら間違いなく駄作になっていただろうね
さすがスタローン! リングに上がらなかっただけでこれだけ評価されないってのもひどいはなしだ。
トレーニングシーンが無いっていってもトミーとのトレーニングはあったじゃんか。
あれほど熱心に二人三脚でやってきたガンに裏切られたロッキーの悲しみがビシビシと伝わってきたよ、
ラストのストリートファイトからは。ロッキーはまるで自分を殴りつけるような痛みを感じていた。
そしてトミー・マシン・ガンもロッキーに後ろから殴りかかった瞬間に一線を越えてしまったんだと思う。 そうだよね…
かつての若き日の自分とトミーを重ね合わせて、今の自分はあの日のミッキーと重ね合わせて、ミッキーがロッキーを守ってくれたように、ロッキーもトミーを守って、これから共に歩んで行くはずだったのにね。
そして自分と重ね合わせていた若者が今、自分の手を離れ、間違った道へと歩んでしまい、そんな風にさせた自分自身にもケリをつけたかったのかなと… 街中のケンカに勝って家族と抱き合って喜ぶってあり得なくね? >>66
たしかにそこは引っかかりますが・・・
あえてストリートファイト肯定します!
トミーがあのあと、目を覚ましたと信じて・・・
5は1・2・ファイナルに次ぐ名作です!
>>66 向こうの国では充分ありえそうだがな。
その辺の文化の違いや、価値感のギャップは突っ込んでも仕方ないよ。
日本に置き換えて話のはナンセンス
アメリカとかは家族1番の国でなによりも優先するから。
それに5のキーワードは「ホーム・チーム」家族の絆だし。
5は1・2・ファイナルに次ぐ名作に激しく同意
描写が曖昧すぎて見る側が一度見たくらいでは理解できないのも無理はない。
スタローンは物語の解釈は見る者に任せるという手法が好きなのでシリーズどれもがそういう感じで作られている。
比較的に4が1番明確で単純なストーリーで老若男女にヒットした。
その次には3あたりかな‥
あとは人物の描写など不透明な部分も多くて何度か見てると、その人物の表情や表現、セリフの意味や背景など【見えてくる】んだ。
1はその人物の描写のさじ加減が絶妙で一人一人が人間くさい
まるで実在の人物そのもので作品が覆われている。
2はその流れに沿っている
5もそれに近づいている
ファイナルは現代での1を見事に継承した。3も何気に人間描写が曖昧で何度か見てると「あぁ、だからあの時ロッキーは‥」とか「この時、本当は気持ちの中では‥」と見る度に新たな事に気付く事が出来る
だから5も何度も見てごらん?
本当の親子だからこそ伝わってくるものがある
5の最後のシーンは大好きだ。
あの力強い家族愛、絆を見て「金や名声、地位や名誉‥すべて失ったけど、一番大事な家族が傍にいる‥
ロッキーの家はこれでずっと幸せだ‥」
と涙が出たよ。 >>68で結論でたね。
ただ、言えることはロッキーシリーズに外れはないということだな。 ケンカに明け暮れてたDQNがボクシングを始めチャンピオンになるという話はよくあるが
チャンピオンにまで登りつめた男がケンカを始めるというのは斬新的である。
財産を失いボクサーの魂をも失った男の転落人生を見事に描ききったシリーズ最高の力作。 どちらの意見も頷ける。ただファイナルやって良かったと思う。1〜6までが綺麗に1本の線で繋がって完結した。 >>71 ファイナルは素晴らしいの一言に尽きるね。
そこでも5での対比が生きてくる
5では家族がテーマ的な要素を含むものだった。
5の最後に幸せな家庭を取り戻したが故に、ファイナルでの孤独感や悲壮感‥老いも手伝って哀愁というものが浮き彫りになったような気がする。
5を見てない人でも充分にファイナルのロッキーは哀愁を漂わせていたけど、5のハッピーエンドを知っている者には余計にそれを感じた。
惨めにすら思えた。
今にして言える事だがファイナルが見事だったからこそ5の真価が見えてきたのも確かだね。
5が最終話という形だったから納得いかない部分もあったかもしれない。
だが2、3、4と同じく5がファイナルまでの繋ぎ的な感じの作品に思うと、やはりシリーズ中の作品と肩を並べられる名作のひとつに違いはないと思う。
1とファイナルは特別過ぎる
最初と最後だから。
強力な作品でなくてはならない。
インパクトや感動も大きくなければいけないと思う。
今まで5が最後の作品としての扱いだったから少し弱かったんだと思う。
見事なファイナルが完成した今は5がシリーズの中で見劣りする部分なんて何もないと思うんだ。 う〜む、
今までアンチ5だったが、
お前らがそこまで言うなら、
もう一遍見てみる。
ところで、オレは4から入ったクチで、
あのイケイケな感じも大好きなのだが、
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