それでは第三点に話を進める。
我々は支配する対象によって手段を選んでいる。It varies from individual to
individualというわけだ。これは別に101号室の中だけで起こり得ることではない。
したがって、言語の管理が有効な手段となる場合は言語を管理する。複雑な思考を
行うことが可能な者たち、たとえば不幸なウィンストンもそうだが、彼らは思考の
手段となる言語によって自らをがんじがらめにしているのだ。本人は自由にものを
考えていると思っているが、実は言語に支配されているので自由ではない。そう、
「自由は屈従である」というテーゼそのものだね。
党が必要を認めない限り「私欲」を定義する必要はない。ただし、それが何であれ
党にとって有用であるかどうかの判断は行う。判断は自動的に、無意識的に下される。
仮に私がある種の意思決定をしたとしても、一瞬後には忘れている。それを党が
望んでいるから。