【一発屋】 シェーン 【アラン・ラッド】
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1953年/米/監督:ジョージ・スティーブンス
出演:アラン・ラッド、ヴァン・ヘフリン、ジーン・アーサー
ブランドン・デ・ワイルド、ジャック・パランス、ベン・ジョンソン
エドガー・ブキャナン、エミール・メイヤー、ほか
スポーツカーを運転中の単独事故だったと思うけど、詳しいことは覚えていない。
近いうちに誰か詳しく書き込んでくれるでしょう。 死
遊び(Butterflies Are Free)において実行するために途中の間、ブランドンデワイルドは
1972年7月6日の夕方にレークウッドのデンバー郊外で自動車事故できわめて負傷しました。
もう一つの車両を避けるためにそれて、彼は道の端に置かれる建設トレーラーをたたいて、
デンバー大学病院に到着する前に、しばらくの間彼のトラックの残骸の下でピンフォールされました。
彼は、4時間後に死にました。彼は、30才でした。 西部劇のストーリーを考えようとしたら、結局シェーンに
なっちゃった。
高倉健を引き合いに出すまでもなく、日本人にとっての
西部劇の1つの典型であると思う。
それがいやで、この作品をくそみそに言う人がいるようだが
そこまで嫌いにはなれない。
義理と人情と愛情と友情のからんだ、いい話だもんなあ。
みんないい人で、今の日本では考えられない。
旧きよき時代の人々の「型」
めちゃくちゃ渋い映画というか、表面に出てこない部分の味わいがすごくある。
当然子どもの頃は、そういう裏の心理が読めないから、それほどの名作だとは思わなかった。
今はすごく大事な作品になってる。
個人的には、アランラッドがもう少し渋い顔で体が大きければ最高だった。 >>238
この作品を好きになれない人がたまにいるのは、
>>237の言う「日本人にとっての西部劇の1つの典型」
だからではなく、むしろ、ズバリ
>個人的には、アランラッドがもう少し渋い顔で体が大きければ最高だった。
この点での不満が大きいんだと思うよ。
おれは好きな映画だけどね。ただ、主要な役者の中で好きな順に挙げると、
アラン・ラッド、下になっちゃうなあ(苦笑) これほど脇を固めるという言葉があてはまる映画はない。 >>1-240
そうか! 貴様もライカーの一味か。ライカーめ、今度は何をたくらんでやがる。 >>225
あります。パランス主演の最高の映画が。ロバート・アルドリッチ監督の「攻撃」
戦争映画ですけどね。
>>241
ライカー? なんだそれは。牛の名前か? この前、500円DVDで見直したら、シェーンって、南軍崩れなんだな
そして、殺し屋が北軍出
初めて知った 『シェーン』と『ジャイアンツ』を見て、些細な共通点に気がついた。
どちらにも、広大な農場で牛を放牧する古い牧畜のやり方を批判するセリフがでてくる。
『シェーン』では、スターレットが夕食をとりながらシェーンに
「ライカーのやりかたでは、牛はやせ細ってしまってダメだ。もっとせまい場所で
エサの量なんかを計算しながらやらなけらばいかん。」と牧畜論を語ってる。
一方『ジャイアンツ』ではビック(ロック・ハドソン)は娘の彼氏に
「あなたのやり方は古いんです。僕たちはもっとせまい牧場で実験的なことをやりたいんです。」
言われてしまう。(どちらもセリフは正確には覚えてない)
監督のジョージ・スティーブンスは上記のセリフとは逆に、むしろ古いやり方に同情的で、
強い郷愁を持っているように思える。
「こんにちは」
「・・・」
「坊や、おじさんのことずーっと見てただろう。」
「そうだよ」
「おじさんはね、冷静にモノを観察する子が好きだ。きっと、強い男になる。」
「・・・」 「たいしたことはない、死ぬシーンはないけどもうすぐ逝くよ。」 こんなスレあったのか!
シェーンが山を越えていくラストシーンで肩がだらんと垂れてるのは死んだ演出というのは
有名な話、故淀治さんも映画雑誌で昔書いておられたが、トーキーになる前の無音声時代の映画を見
てた人はすぐ理解できるらしい。高倉健のようだというレスがあるが、彼はこの映画の影響を受けてる
クリントもその一人で大きく影響を受けたと考えられる。
ペイルライダーはリメイクそのものだし、マディソン郡の橋で土砂降りの雨の中窓の外にたたずむシーンが
あるが、あれもこの映画のパクリ(リスペクト)だろう。 そうかな
死んでるように見えん
怪我をして庇ってるだけでしょ
トーレーとウィルソンの撃ち合い
トーレーが不利だな
トーレーの足場が泥でぬかってるし
ウィルソンよりも明らかに低い位置で銃をぬいている
ウィルソンは自分に有利なポジション取りを
計算していたんだろうな >>252
ガンマンのウィルソンにとって
農民とは勝負にならないのは目に見えている。
そんな対決ですら絶対優位な立場で勝とうとする
弱いものいじめの卑怯者というイメージで演出しているのだ。 >>250
爺さん 勝手にシェーンを殺さないでくれ
故淀川って「では さいなら さいなら さいなら」のじいさんだろ
映画解説者のキャラとしては面白い がだ
シェーンが墓場で死んだと ほんとに書いたとしたら ただの馬鹿
ただのホモ ただの引きこもり
ウィルソンとの撃ち合いの後 ジョーィ少年との別れのシーンで
シェーンはジョーィ少年の頭を左手でなでてる
「パパやママを大切にしなさい」と力強く左手で何度もなでている
怪我が致命傷ではないくらいわかるだろ お前も淀川も馬鹿じゃねの
おっと我慢してなでていたんだなんてアフォなこと言うなよな
出血多量で死ぬこともあるだろう。
腕を打ちぬかれたとは限らないだろう。
もし死んだのでなければあのラストは無意味だろう。
>もし死んだのでなければあのラストは無意味だろう。
って墓場を通ったシーンの意味を言ってるのかい? このスレが1000までいっても結論は出ないお、たぶん。
仮に死亡説を取るとして、死んだまま落馬しないでいられるのかな? 死んだほうがもっとかっこいいか
死んでほしくないかの違いかい?
原作では死んでないなら死んでないに決定
明日のジョーだって死んでない
>>261
男Aが死んだと言っていて
その理由は終わりのシーンで
ジョーイが呼びかけても
振り向かないからと語ってる
ここのシーンで呼びかけるたびに振り向いて
答えているシェーンだとしたら笑えない?
墓場に向かうから死んでしまうなんて発想が子供
墓場は通り過ぎるだけだよ
それにその墓場は村の墓場じゃないでしょ
トーレーの葬式のシーンで
では平野にあり 酒場からも見えていたはず
怪我をしたが致命傷じゃない
別れる前にジョーイの頭を何度もなでてるからね
あとは捕らえ方
あそこで死ねばもっとかっこいいと思う人も
いるかもだが もう十分かっこよすぎ
用心棒的な人間は
揉め事があるうちは大切にされるが
揉め事がなくなったらそこでは不要な人間になる
この考えは世界共通
シェーンは不要な人間と思われる前に
去って行った
コレに決まってますねん
長々スミマセン
墓場は名も無いガンマン達の墓標
馬に乗りながら 時代の流れを
痛切に感じながら さすらいの旅
がまた始まる・・・
ジェーン 力とは何かを知り尽くし いままでの自分の生き方に
少し嫌気がしていた流れ者 もしくは南軍の敗残兵
スカーレット 世間知らずの頑固な百姓
ジャックウィルソン 北軍の将校 南北戦争ではや撃ちで名を馳せたが
性格の残忍さが後の出世を妨げる
ならず者の用心棒に成り下がる
ライカー 初期の開拓者 インディアンと戦い・・・・やめた
何、シェーンが死んでたって?
まぁどっちだっていいさシェーンはオイラの心の中にゃ
今でもいきてるぜぇ〜
>>231
おまえかシェーンが死んでたって言ってんのは?
何がTVシリーズ「コンバット」だ
さては第二次大戦当時の「コンバット」見て
ドイツ(日本の味方)じゃなくサンダースを応援してただろ?
国賊か?
何故か俺も親父もビック・モロー応援してたな
あれ見てドイツ軍応援してた律儀な日本人に御目にかかりたいぜぇ〜
ちなみにドイツ人あんなにもトロくないだろ? ジェームス・コバーンがドイツ兵としてでてたエピソードがある
後の「戦争のはらわた」スタイナー軍曹である。 >>266
そうなんだ やっぱりマヌケな役だったのかな?
有難う:リトル・ジョン 母親 「ジョーイ 駄目よシェーンを好きになっては・・」
ジョーイ 「どうして?」
母親 「どうしてもなの」
ジョーイ 「どうかしたの?」
母親 「いいえ・・・・・」
ジョーイ「じゃ、どうしてなの?」
母親 「いつか行ってしまうわ つらいわよ・・・好きになったら」
ジョーイ「・・・・」
いつかは別れが来ると予感がしている母親
この流れだ見てもシェーンが墓場まで行って死んでしまうなんて
ストーリーはありえない
お前ら爺さんは馬鹿すぎ ttp://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20061111-115541.html
「シェーン」の悪役、J・パランス氏死去
AP通信によると、ジャック・パランス氏(米俳優)10日、米カリフォルニア州南部モンテシトの自宅で死去した。87歳。
広報担当者によれば「自然死」で、詳しい死因は明らかでない。
米ペンシルベニア州生まれ。大学を中退し賞金稼ぎのボクサーなどを経て
第2次世界大戦中、陸軍に入隊。スタンフォード大でジャーナリズムを学んだ後、映画界入り。
冷血な悪役のガンマンを演じた「シェーン」(1953年)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされるなど
アクション、西部劇分野で活躍した。「シティ・スリッカーズ」(91年)で同助演男優賞を受賞した。
[2006年11月11日10時30分]
母親 「ジョーイ 駄目よシェーンを好きになっては・・」
ジョーイ 「どうして?」
母親 「どうしてもなの」
ジョーイ 「どうかしたの?」
母親 「いいえ・・・・・」
ジョーイ「じゃ、どうしてなの?」
母親 「いつか行ってしまうわ つらいわよ・・・好きになったら」
ジョーイ「・・・・」
いつかは別れが来ると予感がしている母親
この「別れ」に死別も含まれ得ることに思いが至らない>>268は馬鹿すぎ
バーテン「何にするかね?」
シェーン「ソーダ水をくれ」
ライカーの手下一同「ガハハハッ」 【訃報】ジャック・パランス死去
http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1163206574/l50
ttp://news.yahoo.com/s/ap/20061110/ap_en_mo/obit_palance_17
合掌 彼女は,独立系の大手映画会社,メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の経営者・カーク・カーコリアン氏(現在84歳)と新郎74歳,新婦26歳!の48歳の年の差を越えて結婚していただけでなく,その時既に2人の間には,
1歳半になるキラちゃんという子供までいたらしい.
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/5602/column/lisa.htm
MGM社長、アラン・ラッドJr.を悩ませたオーナー関連 母親 「ジョーイ 駄目よシェーンを好きになっては・・」
ジョーイ 「どうして?」
母親 「どうしてもなの」
ジョーイ 「どうかしたの?」
母親 「いいえ・・・・・」
ジョーイ「じゃ、どうしてなの?」
母親 「いつか行ってしまうわ つらいわよ・・・好きになったら」
ジョーイ「・・・・」
この母親の言葉や前後の流れには 死に別れは含まれてない事が
感性のあるやつだったらすぐにわかる
死ぐ事が一種の美学になってい
そうだね>>271
子供の頃特攻隊の出撃を見送った世代で 酔っ払うといまだに
鬼畜米英とか騒いでんじゃない?
ジャックさん、なかなかの悪役人生乙です。
ヤングガン、良かったな。 ジャック・パランスさん老衰で死去。また名俳優が世をさった。合唱 ジャック・パランス。主演作もあったけどほとんど脇役人生といってもいいでしょう。
得難い役者で何といっても「シェーン」の殺し屋は強烈でした。この名作はパランス氏
なくしては成り立たなかったでしょう。シェーン・ラッド氏の自殺から40数年、天寿を
まっとうされたのですね。ご冥福をお祈りします。 昔、「蒙古の嵐」見たけどあのほりの深い顔が恐ろしかった・・・・・・合掌 >>262 自レスを引用するのは気が引けるんだけど・・
少し遡って、>>50 の「天使」説に賛同いただけませんか。
「不要になる前に去る潔さ」だけでは掘りが浅いと思います。
「必要な人間になるために」懸命に生まれ変わろうとしたシェーンの努力は
用心棒的な役割を自ら決然と放棄して生きようとする決心ゆえでしょう。
・・・しかし抜かぬと決めた銃を再び抜かざるを得ない局面へ導かれた残酷な運命を
「やはり殻は破れなかった」と、あたかも宿命にように恬淡と受け容れて去る。
(最後、少年への言葉はほとんど独白だ)
ここら辺りが似て異なる凡百の類似映画との差なんで、それ故に「天使だ」と云いたくなるわけです。
同じく、長文陳謝です。 じゃあ、シェーンは撃たれて死んで天使になったってことで。 >>280
天使説は正しい。
著者はそのつもりで書いてるようだ。
>「シェーン」 どこからか現れてコミュニティの危機を救い、
そして自身は傷つきつつ、また何処へと去る。
俺の考えもおおむね同じだよ
だから傷ついたが死んではいない
勝手に殺さないでくれと書いてるんだ
>>261で
シェーンが死んだ理由を最後のシーンでジョーイが呼びかけても
振り向かないとか
このスレにアホ女解説者の「墓場に向かっていくシェーン・・」
という実に解りやすい安受け売りに惑わされてる人が多数いないかい?
話はそれるが
このごろ飲み屋 酒屋 酒の置いてあるコンビ二に入るときに
ジャックウィルソンがライカーに呼ばれ町に馬でやってきて
バーに入るときのしぐさ(ドア半開きで店の中を油断なく見回す)
をまねしてやってしまう俺ってアフォだろうか。
惑わされてはいないよ。
確信を持って言う「シェーンは死んだ」 ラストカットの2シーン
酒場から遠ざかるシーン、山を越えて墓場を過ぎてフェードアウトするまでのシーン
よく見ろ!
フェードアウトするシーンまでも片手ダラーンと垂らした状態でエンディングだぞ、
昔のサイレント映画の手法で後は観客の想像にまかせてるが、
シェーンはジョーイのヒーローとして無様に死ぬとこは見せずに去っていったっていう
演出なんだよ。 >>287
>フェードアウトするシーンまでも片手ダラーンと垂らした状態でエンディングだぞ、
これは確かに何かを感じさせる。
あのカットに何か意味を持たせようとしてない限り、少年側からの遠ざかる絵で終われば
いいわけだものね。
くわえて、直前の「シェーン、血が出てる」の言葉。
なぜあのセリフを入れたかも、それなりの理由があるはずだ。
自分の考えは、以下の通り。
作ってる方は、「シェーンは死んだ」という解釈に立っている。
だが、観客はそう思わなくてもいいと考え、自由な解釈を許している。
つまり、「シェーンは死んでない」と信じる人にとって、シェーンは死んでない。 >>287 >>288
>フェードアウトするシーンまでも片手ダラーンと垂らした状態でエンディングだぞ、
普通に怪我を負いつつ他に流れていくだけでないかい?
始まるシーンだって北に向かって荒野を旅しているシーンじゃんよ
左手ダラーンだけど その左手でジョーイの頭を何度も力強くなでてるシーン
を見ると 怪我をしてても我慢できないほどの怪我じゃなさそう
>少年側からの遠ざかる絵で終われば いいわけだものね。
撮影当時 監督がこのカットがここまで有名になるとは
思ってたかもどうかわからんよ
いいシーンだが こだわりすぎてない?
>>286
想像だけど20歳でシェーンを見て
ホントは死んだんだと言う説を22歳のときに信じ
今60歳?
だとしたらシェーンは死んだで頭は固まってるのも
理解できますねん
>>290
>いいシーンだが こだわりすぎてない?
ラストカットって、撮る側にもそれなりのこだわりがあるものだよ。 つけ加え。
でも、君に「シェーンは死んだと信じろ」というつもりは、毛頭ありません。
それは、>>288を読み直してね。 >>292
>作ってる方は、「シェーンは死んだ」という解釈に立っている。
根拠を >>293
え? 書いてるじゃん。あとは墓場に向かっているという
お馴染みの指摘を足しておけばいいっしょ。 まさか君の言う根拠って
○ジョーイの「シェーン血がでてるよ」
○片手ダラーン
○>>261の男A ジョーイの呼びかけにシェーンが振り向かなかったから
○同じく女性解説者の「墓場に向かっていくシェーン・・」
このレベル?
だったら俺もレベル合わせて書いてみよう
シェーンに撃たれたウィルソンは 倒れすとき額に手を当てて
悩み事を考えてながら死んでいった
もしくは死にながら樽が顔にあたるのを
避けながら死んでいった
2階の撃たれたライカーの弟は実は死んでいない
振り向きざまのシェーンの弾丸は明らかに別方向に向かってる 弾丸はあたっていない
死んだ振りをしていただけ(落ちた衝撃は相当痛いはずだが我慢強いんだな)
シェーンも気がついていたが ライカーの弟が自分に害を加える意志がないと
察して気がつかない振りをしてる
まだまだあるけど手が進まん
でも シェーンは生きてる
>>295
そりゃ筆も進まないでしょ。むりやり下手くそな皮肉を書こうとしてるんだから。
女性解説者って何? 「女性解説者」でスレッド検索したが、わからん。
シェーンが振り向かないのは、自分の中では死亡とは関係ない。
ふつう、振り切って去るから振り向かない。
ま、でも、いいんですよ、君にとって「シェーンは生きてる」で。
ただ、ひとつ、つけ加えさせてもらうと、生存説を言ってる人間の方がシェーンを
愛してるなんて幼稚なことは言わないようにね(w >>296
女性解説者=>>261を最後まで聞くべし
>むりやり下手くそな皮肉を書こうとしてるんだから
違うよ ‘手がダラーン‘と同じレベルで書き込んでる事に気がつき
アフォらしいと思ったからなんだ
むりやりへたくそな皮肉にしてしまう君の考えのほうが無理があるよん
>生存説を言ってる人間の方がシェーンを
愛してるなんて幼稚なことは言わないようにね(w
ハァ?多次元に飛躍してるね
20歳でシェーンを見て ホントは死んだんだと言う説を22歳の
ときに聞いてそれを信じ
今60歳 そんな君
だとしたらシェーンは死んだで頭は固まってるのも
理解できますねん
むしろ俺は君のよき理解者なんだけどわかってね
38年間信じてきた事は今になってどんな事があっても変えれないね
最近の若い者はなんて暇さえあれば行ってそうな君だもんね
そういう君をを世間では頑固な爺さんとよぶんねん
スマンつられて荒らしてしまった
>>297 なんじゃそりゃ?
思い込みと決め付けの無意味な羅列。
きっと頑固な爺さんなんだろうなW 乗馬のこと詳しくはないが、普通に進むときは片手で手綱をとり、もう片方は特にすることもなく
ブラッとさせてるもんじゃないのかな。片手がダラッとしてるのはごく普通のことだと思う。
>>301
頑固爺さん 愛してるよ^^
くっくくっくくくく
ぷぷぷぷぷぷははは
きやはははははははははははは
爺さん
手がダラーンで墓場を通り過ぎるシーン
それと>>15の『交渉人』でケビン・スペイシーが、
シェーンは最後のシーンで死んでたと自信を持って言っていた
これだけの情報ででシェーンは死んでいたなんて思い込み
シェーンの死に方に目をウルウルさせて何十年も
生きてきた君にとってはショッキングで酷な事だ
死んだとシェーン通ぶりたいのもわかる
が・・・
残念だがシェーンはしんではいない
それこそ君の三分の一世紀におよぶ
ロングな思い込みだヨン
>>275の書き込みの中の母親とジョーィの会話にも 製作者の
が何を表現したいのか現れてるよ
こんな簡単なこともわかんないのかい?
毎度おなじみの>>304は、生存説論者は頭がオカシイということにしたくて、
敢えてやってるのかな? ずいぶんひねくれてるね。 >>305 まあ、一応成果は出てるということで。評価してやってもいいんじゃないかな。 自称シェーン通の爺さん 生存説論者じゃないでしょ 死亡説論者
論じるという程のこともない 普通に見れば解る事だ
打ち合いの後のジョーイとシェーンの会話
シェーン「帰ってママに言いなさい もう心配ないって これで銃はなくなると」
ジョーイ「・・・・シェーン」(ここでジョーイが左手で握手を求める)
シェーン(左手で握手に応じる)
ジョーイ「血が出てるよ」
シェーン(ジョーイの頭をなでながら)
「たいしたことはない さあ、帰りなさい正直で強い男のなれよ」
わかるよね 握手をしたら流れてる血に気がついたってことは 怪我の箇所が左手だって事
シェーンがこれだけの動作(ジョーイの頭を強くなでてる)をしてるって事は
擦り傷程度の怪我の証明なの。
わかる?じい様。
そんな性格だから家族にも相手にされないのはわかるけどさ〜
嫁さんに影口たたかれるのもわかるけどさ〜
孫には嫌われるのもわかるけどさ〜
だからといってここの場で・・・・・・・・・・ ぷ
一行目とか、芸が細かいねw
もう充分、成果は出てるからいいってw シェーンの「実は重傷説」が世に出たのは、80年頃キネマ旬報の臼井編集長が
当時普及し始めたホームビデオで繰り返し「シェーン」を見て、ここで語られ
ているような腕の状態や墓地を通っていることに気付いて文芸春秋に書かれた
のが最初だったと思います。それもビデオだとこのように色々解析することが
できて映画ファンとしては新たな楽しみが生じる、というのが主旨だったよう
に思います。それまでは映画関係誌や昔はよくあった「西部劇読本」的なもの
にこんな話はありませんでした。オールドファンとしてはあまり深読みせず、
開拓農民一家を助けたシェーンはジョーイ少年の夢、そして観客の夢と共に
遥かなる山の彼方へ去って行った・・・それだけでいいと思っています。 しかし、この映画を観て、シェーンが死んだとわからないとは、
いったいどういう鑑賞眼をしてるんだろう。
はずかしいったらありゃしない。
いいか、映画でラストシーンは一番重要とってもいいくらい重要なんだ。
少なくとも無意味なシーンはいれない。
有名なあのシーンで終わっていないということが、ポイントであり、監督からのメッセージだ。
そんなことも読み解けないとは恥ずかしいたらありゃしない。
挙句の果てに爺さん扱いして。お前はほんとうに既知外だな。
307ってはずかしいね。
頭の悪い音を得意げに書いてるのをみると、こっちまで恥ずかしくなってくる。
こんなやつにも生んでくれた親がいたんだろうなと思うと親が不憫でしょうがない。
大体において何が「かすり傷」だよ。
そんなもんならラストシーン近くでわざわざだすかよ。少し脳みそがつい照ればわかりきったことなのに
得意げに「かすり傷」。笑っちゃうね。
どうやったらここまで頭の悪いことをかけるかなぁ。ある意味感心するわ。
307は、今日から「かすり傷」野郎だ。
致命傷でも、かすり傷。ご愁傷さま。 >>309 まったくそのとおりなんだよ。
だから、>>307は頭が悪いといってる。
オールドファンなら、あんたの言うとおり、
>開拓農民一家を助けたシェーンはジョーイ少年の夢、そして観客の夢と共に
>遥かなる山の彼方へ去って行った・・・それだけでいい
しかしいまはビデオDVDの時代、自宅で何十回も繰り替えし視聴OKの時代。
その「何十回も見る」とおかしいものはおかしい、あるいは監督がひそかにこめた意図にも
気がつくようになる。
しかるに、だ、
>>309の馬鹿たれは、爺さん扱い。
じいさんなら、>>307の立場になるのが普通なんだよ。
そんなこともわからない>>309は「致命傷なのに、かすり傷の自覚しかないやつ」
ご愁傷様。 ↑アンカー間違ってない? そのまま読んだら何がなんやら分からん。
まぁ分かったから落ち着けよ。
・・・と、ことわった上で、
俺も >>309に同意。
ほんと、オールドファンとしては「それだけでいい」し、「それ以上は野暮」って気持。
何れかの意図があったとしても、突き詰めれば創った本人に訊かないと分からん事でしょ?
そもそも多様な解釈を許容するってのは名作たる所以なんだから、それで良いじゃないの。
俺の本音は「死んだとは思えない」いや、「死んだ設定であって貰いたくない」。
もし、意識して「死んだ設定」にしていたとしたら、映画の価値が一等減じるよ。
・・・あ、これはあくまで私感ですよ。 人を殺したものには居場所はないんだよ、いまもむかしもかわらないこと むしろ「交渉人」の「振り返らないから」といういい加減な理由は、
話を混乱させるだけだよな。そりゃ、振り返らないよw
ラストカット(シーンじゃないよw)と、「血が出てる」で、
死んだつもりで作ってるというには充分。
だからといって、>>309の直後に>>310みたいなレスをつなげるのは、どうかと思う。
「生きてると思ってる人にとっては、生きてる」で、いいんじゃないのか。 >>318
西部劇では町を出て行くひとが墓場を通って行くシーン
結構あると思うよ。過剰な意味づけは危険。
>>320
そういう無理矢理な「結構あると思うよ」とやらで、
ラストカットの重要性を覆そうという考え方の方が危険だよ。 えーと、アラン・ラッドに関していくつか質問があるんだけど
1.身長は168cmでFA?
2.息子のアラン・ラッドJr.の奥さんがシェリル・ラッド?
それから、「シェーンがもうすぐ死亡説」だけど、俺は左手で握手した時点で確定だと
思っている。左手の握手は別れの握手だからね。 >>309 が、無難、順当、まっとう、常識、大人の正しい結論だな。
で、ビデオ・DVD世代としては死亡説をとるのもやむなし。
>>307は大馬鹿。
こういう結論でいいと思う。
シェーン死亡理由
手がダラーン(これは苦しくて今にも倒れそうに見える)
墓場を通る あるいは墓場に向かってるように見える(シェーンは墓場で死ぬつもりだから)
血が出てる=大変な致命傷 弾丸にあたったら致命傷になるに決まってる)
ジョーイの呼びかけに振り向かない(苦しくて答える余裕がない)
アメリカ映画でありアメリカ人も言ってる死亡説だから信じるのが当たり前
>>307が馬鹿だから(本音は14行目からの書き込みが気に食わないのだが)
何十年も死んだと思って生きてきたんだ そうに決まってる
若造のへ理屈で俺の信念が揺らぐ事があっては
俺の人生が揺らぐ事と同じだ
まったくけしからん 誰に面倒見てもらってると思ってるんだ
まぁこんなとこだね
かたくなだな〜 はかないな〜
秋深まりし日の朝
>>321
よかねえよw
そういう風に世代論に収束したら、映画の本質を見誤るんじゃないの?
ビデオ・DVDが現れたから、突然ラストカットや「シェーン、血が出てる」
のセリフが現れたわけじゃないだろw
このスレの情報だと、故淀川長治はシェーン死亡を指摘していたらしい。
(それも、「無声映画から見てたなら」という「逆の」世代論風だったらしいけどw)
>>309は「大人の正しい結論」というより
「ファンのひとつの結論」。別にそれはそれで構わないよ。
ただ、「昔はそんなこと言ってる人いなかった」なんてのが、
映画の本質を決定づけることではないことは肝に銘じて欲しいね。
あと、>>307は大馬鹿と言うより、ちょっと度を超した意地悪なんだよ。
生存説論者を馬鹿にするため、わざとやってらっしゃるみたいだからw 見ようによっては、総てを失い傷心を抱きながら去っていくシェーンの
心象を表現しているようにも解釈できるが、その後の死を暗示している
ようにも見える。
とらえ方は人それぞれで、死亡説が完全否定されるわけでもないですね。 とらえ方は人それぞれで、生存説を完全否定することもできますね。
シェーンは死んだんだよ、どう見てもそういうラストシーンじゃんか、
放浪のアウトローのフェードアウトシーンにあんな悲壮な後ろ姿魅せる必要ないだろ
まあ、映画は見てるほうの感性だから、別に生きてるというエンドでもいいけど、
明らかに製作者側はガンマンの死(悪も善も)による時代の変革を訴えてるんだよ。
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