ムーアボンド最終作
美しき獲物たち A View To A Kill 1985
原作「薔薇と拳銃」1960年 原題:From a view to a kill

―――大きな黒い防塵ゴーグルのお陰で、その瞳は火打ち石のように冷ややかだった。
時速70キロですっ飛ばすBSA-M20オートバイ―体もマシンも宙に踊っているのだが、その瞳だけは静かに落ち着きはらっている。
防塵ゴーグルに守られハンドルの真ん中辺りのちょっと上で、ピタリと前方を見つめる黒い瞳は拳銃の銃口のようだ。
ゴーグルの下の顎は、口元に吹きつける風で後ろに吹きまくられ、唇がめくれ上がって墓石のような大きな歯と白みがかった歯茎が剥き出しになり、笑ったような顔になっている。
頬が口から吹き込む風で小さな袋みたいに膨らんで軽く波打っている。
ヘルメットの下で踊っている顔の左右に、直に生えているように見える黒い手袋は、手首を折ってハンドルを握り、まるで巨大な獣に飛びかかろうとしている前脚のようだった。
男が着ているのは、英国通信隊の伝書使の制服。乗っているオリーブ色に塗られたオートバイも、スピードを上げるためバルブやキャビレイターに細工を加え、消音器の一部を外した正規英国陸軍オートバイそのもの。
この男が偽物と思われる節は服装にもオートバイにも何ひとつないのだが、燃料タンクの上にクリップで止めたルガー拳銃だけが異様に写った――― 。