卒業
ダスティン・ホフマン、キャサリン・ロス、アン・バンクロフト それにしても
バンクロフトのストッキングを穿く足の背後に
立ち尽くすホフマンのワンシーン。
この大胆な構図をポスターに起用したADはすごい!
新人ホフマンの起用からポスター制作にいたるまでの秘話を
プロジェクトXで見てみたかったw
>>1
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(U( )
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(__)_)
エレインの勢いでやっちゃったけどどうなん?つ−表情が笑ける
実際こういう略奪愛ってあったんかなあ結婚式場の人に訊いてみたい 米国で公開されてすでに45年か〜
もうすぐ半世紀だ 前半のベンとミセス・ロビンソンのやりとりはいつ見ても面白い
最高の童貞喪失映画 結局やったっけ?うろ覚えだけど全部拒否ってなかったっけ。
若いツバメ、ご機嫌だったろうなミセスロビンソン 拒否ってない拒否ってない。
やるまでの描写がもう抱腹絶倒。見直してみ。その価値あるよ。
ミセス・ロビンソン役のアン・バンクロフトって、ここでは悪役だけど、
奇跡の人ではイイ役だよな。両方できる役者って良い。 というか、、映画では、こえぇ〜ババアだと言う印象が深いけど、、ググって見たら、やたら美人だし
存在感抜群なんだな。。 アン・バンクロフト!
童貞にとっての年上伝説には確実に彼女の存在があったったんであえう タイトルの卒業ってどういうことだったの?
童貞卒業しました〜みたいな感じ? いろんな意味があるんじゃない?
主人公が大学卒業したてだし、ある意味人生のターニングポイントって
ことで。
この映画も団塊の世代には、大うけの映画だろうと思う。
映画を世代だけで括ろうとすると何か無理が浮き彫りになってきますな^▽^ 月曜ロードショーで荻さんがべらぼうに褒めちぎってたね。 この映画もアメリカンニューシネマと見なして良いんでしょうか? 母と娘を共食いし、その娘をストーカーして挙げ句にはその娘の結婚式を妨害し、娘と駆け落ちするという相手の立場などまったく考えない利己主義と倫理観の欠如が画期的な映画だよ。
まさに当時のアメリカの道徳観を崩壊させた映画だ。
デニーロが主役だったらもっと強烈な映画になっただろうね。残念だ。 オッパイぷるんぷるんのストリッパーのシーンしか思い出せない あん時のエレインの「もうやだァ!」って感じが
なんかえらい可愛いんだよな この中で父親の親友の奥さんとヤったことある奴いるか? やる前に、ダスティンが歯を磨くのが、笑えて笑えて腹の皮よじれて
それでもたりなくて、なぜか次の日の授業中に、間違って思い出してしまって
必死でこらえてたけど、失敗して教師と目が合ってしまい
おまえ、なに笑ってる!!とかゆわれたのが運の尽きで
大爆笑が破裂して・・・・・・結局廊下にたたされた
あのころは映画は映画館でしか見れななかったわなあ 小学生のとき初めて観たが、
同時上映がヘルハウスだった。
なんでこんな組み合わせだったのかな。 日本の昔のポルノとか見ると下着が時代感じてダサいけど
これの豹柄ストラップレスブラは今風だね 同時代で観たせいなのか、疾走感とか、主人公の抱える重い主題
自分は何者だろう、自分が見つからないとか、当時のアメリカ版実存主義みたいな
感じがよくでてて、S&Gの知的なフォークがよくはまってて、やっぱ
見るべきタイミングってあるんだよなあ、と古老は語る 全ての創作は時代とセットですから。本物は時を超えるけど、創作時とは別物。 リマスターヴァージョンを観たら、
映像が鮮やか過ぎる気がした。
無理に彩度を上げすぎじゃねえのか?
得点映像は以前出た25周年ビデオについていたやつのほうが
当時の事情に詳しくて面白かった。
何であれが入っていないんだろう。
いずれにせよこの映画は何度も観てしまうのだ。
もうこういう映画は作れないよなあ。 やっぱ、あのちぐはぐ感とか、ずれた感じ、周りの世界が自分に馴染んだ世界ではない
のに、まわりはそれを許さないし、馴染んでいることを当然ように扱われる不条理
こういうのは実存主義だったんだと思うし、こいう演技をあの時代にやってのけた
ダスティン・ホフマンの役者としての技量の高さ
なにやら、今の若者にも通底する感覚なんでは、そいいう意味でも時代を超えた
名画だなあ、と古老は語ってしまったぞ ホテルに部屋を取って、場違い感たっぷりのベンの様子の場面、ロビンソン夫人がタバコを吸い込んでいるのに
ベンがキスしようとするので、しばらく肺にケムをためて、ベンが顔を離した隙に
ロビンソン夫人がケムを横っちょに吐きだす場面なんか、とっくに忘れてしまったけど
やっぱ笑いがこみあげてくる >>475
お前色んなスレに出没するのな。邦画板にも。 >>474
あのホテル、なくなっちゃったらしいね。 でも、バークレーの下宿とかベンジャミンがお茶していたカフェとか、
ビバリーヒルズのエレンの自宅(ロビンソン邸)などなどはまだ健在。 リマスターヴァージョンを観たら、
映像が鮮やか過ぎる気がした。
無理に彩度を上げすぎじゃねえのか?
得点映像は以前出た25周年ビデオについていたやつのほうが
当時の事情に詳しくて面白かった。
何であれが入っていないんだろう。
いずれにせよこの映画は何度も観てしまうのだ。
もうこういう映画は作れないよなあ。 確かスズキ教授の授業の教材だったような記憶がある。 え、スズキ教授の授業で使ってたの!!
・・・・その人だれ? >>475
474の描写は正確じゃないけど、そのシーンは結構重要。
経験アリを装うベンは、実はキスのしかたも知らなかった、って
とこだから。 キスの仕方知らないんじゃなくて、女に対する思いやりとか、都合を考えられない
ずれた奴って描写だよ やっぱ、あのちぐはぐ感とか、ずれた感じ、周りの世界が自分に馴染んだ世界ではない
のに、まわりはそれを許さないし、馴染んでいることを当然ように扱われる不条理
こういうのは実存主義だったんだと思うし、こいう演技をあの時代にやってのけた
ダスティン・ホフマンの役者としての技量の高さ
なにやら、今の若者にも通底する感覚なんでは、そいいう意味でも時代を超えた
名画
今の若者は実存主義っててんで関心ないけど、なんでかな >>493
若くないけど、実存という概念が今ひとつ頭に入ってこないや。 ??そうなんだ、サルトル系の実存概念だと、人間存在は本来的に”無”であり
そういう存在が理由もなしに、未来に投げ出されている、この意味もなく未来に
投げ出された存在、から投企、本来的自由、社会的参加(アンガージュマン)を
導き出していく 今の時代なら、他人と結婚式途中の女を奪って二人で逃げる と言うだけで、不良賛美だ!許さない!となるのかな? 尾崎豊の歌が解らない人が多いくらいだから。 エレインとホテルにバー探しに行った時従業員が皆顔なじみってシーンの設定が今ひとつ解らん >>497
ミセス・ロビンソンとベンがホテルで何回も会ってたから、もちろん従業員にも顔を覚えられてるって事じゃないですか?
ギャグです ミセス・ロビンソン(母親)とやってた、密会してた場所にエレイン(娘)連れてくるなんて笑えるじゃないですか >>495
どうもです。割としっくり来ました。
例えが適切でないかもですけど、実は遺伝子に動かされてるんじゃないかみたいな学説もありますね。
それすら取っ払った無なのかな。 まあ、遺伝子は分かりませんけど、哲学の主題だと、東洋的な無と
サルトルの無だと、意味がまるで逆といっていいほどで、人間は
本来的に空虚、他の動物のように、本能に根ざした行動ではなくて
投げ出された未来の中へ自分の道を手探りで探して意味を探っていく
意識的に選び取ってゆくということで、それが人間の宿命だと
>>502
サルトル哲学は確かに暗いですね まあ、どうでも良いことだけど、、「ロビンソンさんの奥様」の、このスレでの表記。
ミセス・ロビンソン ロビンソン婦人 圧倒的に前者なんだけど、やはり
名曲って凄いんだな。 イエス様はあなたが思ってる以上にあなたを愛しておられます >>510
亡くなったんだよね。
あの籐のイス、バンコクのホテルで座ってみた
撮影に使ったのはどれだかわかんなかったけど。
そういえば、エマニエル坊やはどうした? 500日のサマーが卒業のラストシーンを結構重要シーンとして扱ってるんだけど、このスレで話題に出ないね。 ダスホフ、めざましテレビで軽部のインタビュー受けてた
教会で「エレーン!」(ダスホフは「イレーン」と発音してた)と叫んで
ガラスを叩くシーンは、ガラスが割れないようにするため
力が入らないように両腕を伸ばして叩いてたんだとさ ラストシーンは実に爽快、痛快
このシーンの為に存在する映画って感じ 「エレーン!」
「エイドリアーン!」
「シェーン!」
「ウイルソーン!」 べーん!
ろっきー!
ぱかぽこぱかぽこ・・・コメばぁーーーーっく
どんぶらこ どんぶらこ どんぶらこっこ すっこっこ 歌詞もチャントでて翻訳しっかりした
ブルーレイ希望 字幕を鑑賞可能なものに差し替えた上に、挿入歌の歌詞も訳したブルーレイが欲しいね。 平凡な家庭のハナシなのに、マトモな人間が全然出てこないのが良い
キャサリン・ロスがクレイジーな周囲に翻弄され、高木ブー状態で
振り回される姿が、更に(≧∇≦)b >>524
この映画の卒業とは、最後のバスのシーンだ。
二人が、だんだん冷めて真剣な表情になっていく。
伴侶を選ぶという祭りが終わり、これからさらに厳しい現実と戦っていくことを自覚した瞬間だ。
これが、本当の意味での卒業…なのだ。