この映画の始りの鬱陶しさは監督の戦略というか、映画の始まりのころの天使の世界の鬱陶しさを
たっぷり描いて、欲望存在の死すべき人間の世界との違いを際立たせてるんだと思うが
キリスト教世界の堕天使って、たいがい天使の世界にうんざりしてて、欲望というのは
なくて、ただその都市とそこに住む人間とを守護するだけだし、人間がふと漏らした
詩的表現だけが唯一のときめきだからな、感覚はないということになってる
そりゃ、死ぬこともなく、何かを食べるとか、女を抱くとか、時間も自在に移動できるので
新しい経験というのもないし、われら人間の喜怒哀楽って、未来がどうなるのかわからないので
発生する、感情の反応だよね、こういうこと考えてくると天使は、現実感覚が失われる病気、
離人症をそのまま 有無を言わさず生きさせられてる気の毒な存在、しかも何千年も!
こういう存在が人間に張り付いて、先が見えないことによる人間の喜怒哀楽、感覚の喜び、時に苦痛、絶望を見つめているんだから、永遠が保障されなくても、死すべき存在の欲望存在に
なってみたいというのはよくわかる。
精神病理学からみれば、離人症から欲望を持った人間にもどっていく過程とも読み取れなくもない。
地上に堕ちて、初めて眼にする自分が出した血の色の”赤という色相”の鮮やかさ、そして初めて経験する”痛い”という感覚。めくるめく感覚の世界(クオリア)
ここらへんは、不死から死すべき存在に変わった状態を映像だけで表現された稀有な例だろ