【超名作】 道 【見ないで死ねるか】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>537
ザンパノが怒鳴るみたいに言うと[ガベリエーレ]に聞こえる 今日行った店で借りられてたな どんな感想持つんだろう? ジェルソミーナ役:マザー・テレサ
イル・マト(キ印)役:ベルルスコーニ
ザンパノ役:カダフィ き印役が1兆円弱、ザンパーノ役が7兆円以上か、資産の推定額な・・・。
とても承服し難い配役だ。 この映画もそうだがフェリーニは一貫して「女は不幸」て言ってるような気する そんで男ってクズで自分勝手でどうしようもないけど
でもしょうがないじゃん許して、て言ってるような気する ザンパノにそこまで男を託してないような気が。男と女というより個人のドラマかと思ふ >>545
フェリーニにとってザンパノは感情移入できる対象とは思えない。
畏怖→憧憬→幻滅→軽蔑→憐憫→理解→和睦
父性に対する感情に似てない?
ジェルソミーナは母性像かな?
ザンパノが父性像であって男性像ではないように思えるのに等しく
女性像ではないように感じる。
フェリーニの描く女性像は色っぽく放埒な女かグラマラスな偶像的牝
の印象が強い。 ここには、湧き立つやうなリオ・デ・ジャネイロの狂熱のカーニバがある。オルフェのギリシア神話の現代版がある。
そしてヴードゥーに似たブラジル特有の神がかりがある。
第一に、この単純な物語の舞台の背景がすばらしい。リオ市の奇妙な特徴は、ふつうなら上流人士の住処に
なるべき筈の市中の山の頂きが悉く貧民窟になつてゐることで、モーロの聚落は、その不潔さと極度の貧しさで
有名である。市中の一等景色のよい、海の眺めのひろい場所を臭気ふんぷんたる連中が占領してゐるのである。
しかも貧しい黒人たちは、一年中働らいて得たわづかな金を、カーニバルの四日四晩で完全に費消してしまふ。
ブラジルは人種的偏見の少ない国だが、それでも黒人の悲願は白人に生れ変ることであり、かういふ宿命を
抱いた人たちは、当然仮装に熱中する。仮装こそ、「何かになりたい」といふ念願の仮の実現だからである。
だから貧しい黒人たちの仮装は豪華であつて、なけなしの金をはたいて、カーニバルの数日のためだけに、
最上の装ひを凝らすのである。
三島由紀夫「『黒いオルフェ』を見て」より 第二に、ギリシア神話の現代化のために、リオのカーニバルと黒人の生活が選ばれたことが、すばらしい着眼点だと思ふ。
私も一九五二年にこのカーニバルに踊り狂つた一人だが、現代の世界で、これほどディオニュソス的感動に
近いものはないと思つた。(中略)
この映画のラストで、黒いオルフェは、嫉妬に狂つた許嫁ミラに投石されて、崖から落ちて死ぬが、ミラと
その一党は、いふまでもなくオルフェを八つ裂きにしたバッカスの巫女たちの翻案である。しかし、「カーニバルで
狂騒と嫉妬にかられた黒人女」といふ設定は、そのまま「現代のバッカスの巫女」として、何ら無理なく通用する、
「現代のバッカスの巫女」を世界中に求めたら、おそらくここに帰着するだらうと思ふ。
こんなわけで、ギリシア神話が、ここでは、全く自然に、いきいきと蘇つてゐるのである。オルフェの地獄めぐりも、
神がかりのシーンで代置されるが、この神がかりはおそらく、芝居でなくて実写だらうと思ふ。あんまり迫真的
だからである。
三島由紀夫「『黒いオルフェ』を見て」より (中略)
閑話休題。これらの点で、ギリシア神話の単純素朴と原始的狂熱を現代に移すのに、リオのカーニバルと黒人以上の
ものはないことは自明である。大体白人はすでに、素朴な恋物語や、純真な情熱や、身を滅ぼす狂躁を、演じにくく
なつてゐるのではなからうか。その衰弱を救ふのが黒人であつて、先頃の「カルメン」Carmen Jonesも、ビゼエの
古い歌劇が、黒人のおかげで、完全に現代に蘇つたのである。
(中略)
私は、オルフェとユリディスが、薄暮の裏庭で語らつてから、一夜を共にし、オルフェの絃歌で、カーニバルの
日の出を迎へるまでの、繊細微妙な演出と、黒人俳優たちの悲しみをたたへた表情の美しさに感動した。
オルフェの神話の翻案としては、警察の書類だらけのガランとした事務室から、オルフェの地獄落ちを暗示する
螺旋階段の長いシーンなどに、面白い趣向を感じた。とにかく趣向の面白さを味はつて見るべき映画である。
三島由紀夫「『黒いオルフェ』を見て」より 午前10時の映画祭で観てきた
泣けた
やっぱスクリーンは違う ザンパノやジェルソミーナやイル・マットーが若く見えて来たとか? あんな偽装工作でごまかし通せちゃうとは
イタリアの警察はそんなに無能なのか? 一年くらい前にNHKで録画したしたの見たけどやっぱいいな
冒頭の母親の「ザンパノに食べさせてもらえば頭だってよくなるだろうさ」ってセリフがやたら印象に残った
結末を考えると本当に悲しい 速報!「ボロもうけ!!これがアメリカのサギの手口だ!!」
ISD条項(アイエスディーじょうこう)
日本に投資した外国の企業・投資家が、日本で決めた規制で、
損害をこうむった場合、たとえそれが、日本国民の安全や健康
のためであっても、ワシントンにある国際機関に
アメリカが、訴えることができる。
日本の国内法など、関係なく、米国の企業が損害をうけたときのみ
審査され、損害が認定されると、日本政府は、多額な賠償金
(ばいしょうきん)を支払うことになるのだ。
アメリカは、韓国のFTAや、カナダ・メキシコのNAFTA
北米自由貿易協定でも、このISD条項をいれこんでおり、
カナダやメキシコで、実際に政府が提訴(ていそ)され、
賠償金(ばいしょうきん)を払う事例もおきている。
アメリカのサギの手口に気をつけてください!!
月曜よる9時「テレビタックル」より
観てきた。
お互いに、嫌いだけど好きだったんだな。 >>500
映像で見せないから、いろいろ想像して悲しくなるんだよね 白黒なんで何となく敬遠していたけどテレビでやったから始めて見た
良い映画は時代に関係なく良いね 最近安易に号泣という言葉を使いすぎだけど、
ラストのザンパノの泣き方こそ号泣だし、
高校生のとき深夜に1人でこの映画を見たときの自分も号泣したと思っている。 名作として名高い作品だったのですね。
実は去年の暮れに初めて知りました。
で、火曜日の放送を録画して観てみました。
いい映画でした。
ほんとにいい映画でした。
何度も心の中でしみじみと噛みしめています。
名画ってこういう作品のことをいうのかな…
結構、観るのつらいんです。
けど、また観たいと思ったり
すごい複雑な心境… 私も捨てられたんだけど
いつか思い出してくれるかな
ふたりの思い出の曲が流れたら
気づいてくれるかな
ほんとに好きだったこと
少しは不憫に思ってくれたら嬉しいな 「道」という作品を初めて見ました。
目からウロコ!とにかく強く打ちのめされました!
こういうのを映画っていうんだなあと
強く感じました。
今まで見ていた映画って何だったんだろうと思ってしまうほどの衝撃でした。 この映画を見たとき「あー、こんな私でも生きてていいんだ」と思えた。
ほんの少しだけ不甲斐ない自分を赦せた。
こういう映画に感動できるんだもん。そんなに捨てたもんでもないかなって。 『七人の侍』のラストの科白が長い間私の中ではベストだったのだけど
この映画の小石の科白もそれに匹敵するものだ。
よく「勇気をもらう」と言うけれど
生きる意味がわからなくなっていた私をこんなに優しく励ましてくれた言葉は他にない。
ベイスハートが好きになりすぎて、思わず『ロンドンの傘』を観てしまったほどだ。 主人はこの映画に全然興味がないみたい。
ほんとは一緒に観て、あれこれ語り合いたいんだけど。
私が先に死んだら思い出して観てくれるといいな…
私がこよなく愛した映画だ。って… >>586
いえいえ、ザンパノとはちょっと違うタイプですよー(笑)
ただ映画の好みが違うだけで。
黒澤明と東宝特撮が好きなんです。 確かにザンパノはこの映画見ようとしないだろうな。というか映画自体見なさそう。
なのにジェルソミーナを失った後は、毎日でもメソメソ泣きながら見そう。 日本ではキリスト教といえばカソリックの受けがいいのは
この映画の影響があるのかもね。 コロンボのバイオグラフィでベイスハートについてこう書かれてました。
『最も忘れ得ぬ作品としては54年伊のフェリーニに招かれ「道」に出演、
期待に応え世界中から絶賛された』 うちの主人はこの映画の男性的な視点を教えてくれた
ザンパノがジェルソミーナに見せる思いやりや好意についてだ
私には全く読み取れなかった。ラストまでザンパノの真の思いはわからなかった ストラーダというバイクが昔あったような気がして
気になって映画に集中できなかった
デスぺラードと勘違いしているかも ザムパノがキ印を殺してしまったショックで、
おかしくなってしまったジェルソミーナ。
ザムパノが彼女をもて余してしまって、
彼女が寝ているすきに置き去りにしようとするシーン。
ジェルソミーナが愛用していたトランペットが
出てきて、そっと脇に置いてやる。
ザムパノがバイクを走らすと、どんどん遠ざかって、
小さくなっていくジェルソミーナの影。
涙なしでは見れない。
>>591
時間が経ってしまったしもういらっしゃらないかな…
もし良ければもう少し詳しく教えていただけませんか?
とても興味をひかれたので… 上の方にジェルソミーナはキ印に恋してたんだろうというレスがあるけど
そうかなー
希望の象徴として好意を持ってただけで
恋愛的な「好き」ではなかったと思う いまamazonでポチって来た
中学ころ教育テレビでみて感動したんだよね
でも題名も女優も思い出せない
憶えてるのはがイタリア映画、白黒ってことだけだったけど
イタリア女優でググったら目が印象的だったのでなんとか探し出せたw 俺はひとりだ・・ひとりぼっちだ・・ぼっちなんだよぅ
あううううううううう 初めてみたときジェルソミーナって日本人の女優の誰かに似てると思ったが、誰だろう キアヌ・リーブスの「雲の中で散歩」に出ていたおじいちゃんが
アンソニー・クインだったって、道をみた後で知りました
イタリアに映画のロケ地めぐりに行きたくなった
道の当時のパンフレットを探していますがなかなかないですね >603
撮影地は、Bagnoregio, Viterbo, Lazio, Ovindoli, L'Aquila, and Abruzzo.
と英語版のWikiに載っている。http://en.wikipedia.org/wiki/La_Strada
他にも、ローマでも撮ったはず。あの大きな移動サーカス小屋の撮影ね。
Bagnoregioのことや撮影の初期のことについては、次のところにすこし詳しく書かれている。
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/2012-08-22 ジェルソミーナってアホの子って書いてあるけど
単に若くて世間知らずなだけなんじゃないかなと思った
後々成長していくから根本的にアホじゃないと思う ザンパノとジェルソミーナを見ると
ダーマandグレッグ(ドラマ)を思い出す
ジュリエッタ・マシーナが道の脇で泣いてるとこを馬が歩いて通りすぎるシーンが好き。
なんで夜中に馬が道を歩いてるんだ(笑)
この映画リアリズムに見えてリアリズムの映画じゃないってことだな
まさしく「フェリーニ」の映画なんだよ
久しぶりに見直して「すごい!ほんとすごい!」と思った
フェリーニ天才! >>610
ザンパノが酒場で売春婦を買って妻であるジェルソミーナを放置する場面ね。
マシーナのあの演技は正直いって臭い。
演技でもパントマイムに近くかなり表現がオーバー。 いかにもイタリア映画的な、言ってみれば「演歌」的な臭さと
フェリーニ独特の信号的(?)ジェスチャーとが入り混じったような何か
オーバーとか臭いとか言って、片付くものなのかどうか
フェリーニの映画には、リアリズムを突き抜けて何処かに行こうとする何かがあるね <La Strada>はいい映画だねぇ。いつ見ても引き込まれてしまう。 ザンパノは私だ・・・
と呟いてうなだれてしまう殊勝なキリスト教徒のための映画 今月の小説すばるに町山智浩の道の評論が乗ってたけど結構面白かった。
マットはmad=キチガイ の意味ではなくて王の前で特別に踊ることを許されたピエロの意味とかなんとか。
興味があったら読んでみて。彼の
評論が嫌いな人もいるだろうけど。 宮廷道化師(jester)のこと?
それとはまた別にmadてのがいたの? >>626
そう、宮廷道化師。
そこらへんの説明詳しく書いてなくて自分もよく分からんかったんだけど、
イタリアの宮廷道化師の呼び方がmattoだったのかな?(英語でjester)
twitterで町山さんにちゃんと聞いてみたいけどアカウント持ってないから聞けんのよねぇ。 >>589
カトリックは第二回バチカン公会議で世界の全宗教との調和を唱ったから、
他宗教を徹底的に排除するプロテスタントと違って、
仏教・神道など多神教の日本人には受け入れられる宗派だと思う。 新ローマ法王フランチェスコの好きな映画は「道」
好きな画家はシャガール
好きな作家はドストエフスキー この映画はアメリカ人に理解できるのか?
あいつらは勝ち負けしか興味ないから この映画は日本人に理解できるのか?
あいつらはキリスト教の素養ないから 大陸書房のビデオで観たなあ、冴島奈緒のビデオと一緒に買った。 シネフィルイマジカDVD ?@cinefilDVD 11月7日
ダメ元で伺いますし、あったからと言って収録できるかどうかは別の話なのですが、
どなたか昔にNHKで放映されたというフェリーニ『道』の吹替版(市原悦子!小松方正!愛川欽也!)
の録画か録音をお持ちでないでしょうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています