コペンハーゲン解釈と多世界解釈

今まで書いてきた「観測することで波の収縮が起きる」という解釈をコペンハーゲン解釈といい、それ以外に多世界解釈というのもある。

コペンハーゲン解釈では、観測することで波の収縮が起こり、AかBかのいずれかの状態となる。
AかBかのいずれか一方の可能性だけが残りもう一方の可能性は消滅するということである。
シュレーディンガーの猫で言えば生か死かの2つの状態となる。
観測する以前では確率空間上にあった状態を観測者はAにするかBにするかを意図的にコントロールすることはできない。
だから、それは決定論ではなく確率論となる。

これに対して多世界解釈では、いずれか一方だけが残りもう一方は消滅するとは考えない。
世界全体がAとBの2つに分岐すると解釈する。
その場合、観測者自身も分岐することとなる。
世界Aに分岐した観測者はAとなった結果を確認し、世界Bに分岐した観測者はBとなった結果を確認することになるだけである。

世界Aだけ、あるいは、世界Bだけで閉じるなら、多世界解釈は決定論である。
また、AとBとは交流できないどころか、互いにその存在を認識することさえできない。
ただし、その二つを外から見る超越者(=神)がいるとして、その超越者からみれば、
二つの世界全体が重ね合わせになっていて、世界Aと世界Bは確率空間上にあることとなる。(続く)