>>367
最後の一個小隊が突入電を発すると、任務を果たした広瀬は自らも突入電を発した。
 広瀬の司令部偵察機はダイブを開始した。
 速度が上がり、頭を上げようとする機体の操縦捍を、死の恐怖に抗う様に懸命に押して頭を抑えた。
プロペラの先端は音速を超え、機体は過速に陥り翼端は激しく振動した。
 限界を超えて回転しているエンジンからはオイルが飛び散った。
 広瀬は瞬きさえ忘れて、白眼は血走った。
 広瀬の見開いた眼中に、空母のブルーグレーの舷側が迫った。
 守屋と過ごした日々の記憶が、脳内を駆け抜けた。
 乾いた眼には涙が溢れ、視界が歪んだ。
 至近弾が多数、空気を裂く破裂音と共に通過し行った。
 翼端に被弾して出火するのが視界の端に見えた。
 「茜っ!茜っ!」
 然し叫びは音声にならず、只声帯を通過する枯れた空気の摩擦音にしかならなかった。

 敵弾が一つ、コマ送りのフィルムを捲る様に、衝撃波で周りの空気を歪ませながら向かって来るのが観えた。
 飛び散った黒いオイルの一滴一滴さえも克明に観る事が出来た。
 敵弾は空気を裂いて、先端の羽車を回しながら、操縦席のすぐ右側をゆっくりと通過するかと思われたその刹那に。
 広瀬の視界は真っ白に染まった。
 極薄い氷の幕が、内側に脆く崩れてくる様に、クシャクシャとした感触が脳幹部に達した。
 聴覚が消え、ベルトで固定している筈の身体が何の抵抗もなく浮遊した。
 「あっ!」
 と思うと、視覚、聴覚をはじめ、あらゆる身体の感覚神経が、純白の瞼の裏で一ヶ所の黒点に凝縮されると、小さく爆ぜて、純白の中に溶けていった。
 広瀬の司令部偵察機は、高速のまま海面に激突し、機体も広瀬の身体も原形を止めなかった。