>>327

東へ向かう帰路は、偏西風に乗って順調に機速を上げた。
対気速度計は往路と同じであるが変針点までの到達時間が早かった。
 「守屋中尉」
 「よんだ」
 「到着迄に試したい事があるのですが」
 「あぶない事はやめてね」
 「そうゆう事ではありません」
 「じゃあどんな事」
 「あー…その…」
 「なに」
 「あかねさん…」
 「《さん》っていらなくないかしら」
 「要らないんですか」
 「いらないと思うは」
 「では…あかね…」
 「呼んだ?広瀬兵曹長」
 「好きだ茜さん!茜さん大好きなんだ!」
 「そんなにさけばなくても聞こえているわよ武夫さん」
 「わたしもあなたが好きなのよ」
 「ハハハ…困ったな…」
 「武夫」
 「茜!茜!」
 広瀬は操縦席の中で、心底歓喜した。
 後部座席の守屋から広瀬の姿は見えないが、広瀬の感極まる喜びがヘッドフォン越しに伝わってきた。
 その自分に向られて発せられた好意に満ちた歓喜は、清浄で純粋な愛を知ろうとする女としての気持ちが、まだ自身に残されているのだと、男女の喜びとは無縁に生きてきた守屋を驚かせ、自然と微笑が浮かんだ。