>>645

そこで、極論になってしまうが
再びアンパンマンに登場してもらおう
(前スレ813参照)

ただしその前に
詞中で文脈を複雑にしてる語に
言及する必要があろう

「大人」(2回)と「逆らった」(1回)
また「反対」(2回)や「強要」(1回)など
子供と大人の対立を連想しやすい語だ

なので、ここではミニアンパンマンと思おう
「僕」=小さい頃の未完成アンパンマン
「君」=世の中(「世界」)の困ってる人々

具体的にイメージするため
「走った」を「飛んだ」
「愛」を「平和」と読み替えてもよいだろう

この仮定の下で詞を読み直すと
「恋」の表現ではなく
「愛」の表現になる(と思う)

「愛」の定義を思い出そう
自分とは無関係な他者のために
自己犠牲的・意志的に行為する

「ただじっと眺め続けるなんてできやしない」
「涙に色があったら人はもっとやさしくなる」
「誰に反対されても」「君を探しに行こう」

「世界」に「愛」や平和はないかもしれないが
「僕」はそれを「信じ」、「今すぐ」行動する
それがアンパンマンの「アイデンティティー」

小さい子供がアンパンマンを好きなのは
典型的なプロトタイプアイドルだからだろう
愛や勇気に共感している、と考えられる

「青い空」を愛や平和の象徴とするなら
「夕立」や「雨」はそれを脅かす出来事
困難を克服した後の「虹」は幸せの象徴

「世界」という空間に加わる
「未来には愛しかない」という時間軸
「セカアイ」は愛に満ちた未来志向の曲だ

もし「僕」を
欅坂と解釈するならば
欅坂は未完成のアンパンマンだ(と思う)