>>626

以上が「セカアイ」MVの映像から
読み取ることのできる
「恋」表現である(と思う)

これに対し、そもそも詞は
「愛」を表している、と考えられる
それゆえMVを記憶から消去しよう

(※以下、あくまでも個人の見解です)
詞中、「恋」という語は見当たらない
「愛」は4回登場する、「世界」も4回

その他、気になる語として
「信じる」(「信じてる」含む)は
計3回

つまり「セカアイ」の詞は
「世界」「愛」「信じる」がキーワード
と、考えられる

「愛」は>>441で定義したので
ここでは「世界」と「信じる」の意味を
ちょっとだけ考えよう

真実であるかどうかはわからないけれども
人が特定の観念を正しいと思っている
「信じる」という語にはそういう含みがある

「世界」は、常識的に考えて
「社会」より広い領域をさすだろう
地球上の全ての社会を「世界」としよう

もっとも学生にとっては
「学校」が世界のすべてかもしれない
「恋」と「愛」の違いもわからないかもしれない

詞を極端に限定解釈するならば
たしかに、MVのような「恋」表現も
不可能ではないかもしれない

しかしながらそれは
詞本来がもつ意味の豊かさを
捉え損ねてしまうことになろう