>自分が見ている世界は母親が見ている世界と同じに見えると考えれば、

同じものを見て、お互いに意思疎通ができるのだから、同じように見えていると考えるのが普通である。
ただし、内在する感覚が同じであるという前提条件がそれには必要である。

内在する感覚が同じではない場合というのを仮定してみよう。
あなたのお母さんがあなたに、「その赤いマジック取って来て」と頼み、それにあなたは応える。
意思疎通はできている。
しかし、内在する感覚が異なっていれば、同じようには見えていないことになる。

あなたの内在する感覚でとらえた“赤”をあなたは他人に見せることができない。
「ポストの色だ」というように指し示すことはできるが、“赤”そのものを見せることはできない。
あなたのお母さんとあなたとでは内在する感覚が異なっていれば、同じ「赤」を見ているのに、
あなたには“赤”に見え、あなたのお母さんには“緑”に見えているかもしれない。
それだと意思疎通ができなくなるんじゃないか!・・・・・ということにはならない。
なぜなら、あなたのお母さんが“緑” と思っている「赤」とあなたが“赤”と思っている「赤」とは共通のものを指しているから。
かくして、無事に赤いマジックを受け渡すことができるというわけだ。
しかし、そのとき、世界は同じようには見えていないかもしれない。