無知蒙昧な宗教的な理不尽さに対するアンチテーゼとして、西欧人の合理精神は発展してきた。
それは疑いようのない真実だろう。

ただ、合理性だけを求めても袋小路となるかもしれない。
合理性だけを求めて、誰もが同じように行動すれば、主体性は発揮できない。
人間というのは入れ替え可能なものとなってしまう。
理不尽な意思や欲求をどれだけ持つかで、その人のあり方が決定し、人間は入れ替え不可能なものとなる。

不合理性を追いやった合理性もまたやしっぺ返しを受ける。
永遠のイタチごっこの中で人間は生きていかなければならないような気がする。